子供にもっと本能教育を!体験学習を。

最近の教育は学問的な教育から生活教育の方へと移行しだしているのをご存知でしょうか?学問といっても、ここで記す学問的教育は、昔の詰め込み勉強的な教育方針のことをさしています。いわゆる、絶対的に学ぶ量の多い学習形態から、今、生活教育という方向になってきている。

ところで、生活教育とは何なんでしょうか?

生活教育とは

学習する人の興味や日常的生活経験を中心に教育計画を立てて、学習する人の主体的行動や生活を基本的な学習方法とする教育方針のことです。
たとえば、サッカーが好きな少年がいた場合、サッカーを優先的に練習させて、学問的な学習などは若干後回しにする。要するに、長所、好きなものを熱心に取り組ませる教育タイプのものですね。ゆとり教育のノビノビと近いのですが、好き!や生活習慣を優先させるモデルです。フランスのルソーなどの発想から始まった教育体系です。生涯勉強!というスローガンは、この教育方針から出ているものですね!

生活教育でいいのか?

私は、この生活教育を推進する流れはとても良いことだと思っている。もっとも、生活教育に完全に移行するのもどうかとは思っている。生活教育では、現代人の生活に合うようにと教育されるからだ。また、判断力のない人に、将来のことを見据えた判断を促す恐れがあるからだ。なぜ、それがまずいのか?それは人間である前に僕らが動物であるからだ。本能があるからだ。私はその本能も育てねばならないと思う。本能がなくなれば、人間は種の保存ができなくなり、絶滅してしまう。またねじ曲がった本能は人に害をもたらす。そう、だからこそ、生活教育にばかり固執するのではなく、本能の養育にも依拠した教育が必要なのだと思っている。ただ、人間としての理性も育てなければいけないから、そこも意識した教育が必要だと思う。そこに形が出てくるのが、体験学習などだろう。まだ世の中をわからない子供たちが体を通して、学べる体験学習。農業などを経験するのもいいですよね。もちろん、一年を通じて農業を経験するのは難しいため、一過性の形になることもあるだろうが、ひとつの案として、校庭でさつまいもやかぼちゃなどを作るなどは面白いと思っている。さつまいもを育てる体験をすることで、そこにある理屈を学べる。ちゃんと育たない理由は、、、ちゃんと育てていたのに、台風で流れてしまった・・・など。そして、栽培の理屈を学ぶことで、感情だけではなく、理性の存在を認知することができるはずだ。せっかく育てたさつまいもが自然災害で流される、悔しい。でも、自然災害はあるのだ。その自然災害に打ち勝つための理屈を知るはずだし、それを教えるべきだと思う。ただ怒りに任せても、何も生まれないということを知り、感情を抑える術を学んでいくはず。体験学習には、そういう観点がある。理性があってこそ、人間なのだから、それを教えてくれる教育者がいいと思っている。

また、そもそも、子供の場合、知識や経験が少ない。好き、嫌いの判断も、楽だから、気持ちがいいから・・といった安易な判断になりかねない。そうではなく、結果、こうなる!ああなる!!といったことを教えて、あるいは、こういうものがある、まずはTRYしてみない?といったところをやってみて、その上での、学習する子供1人1人の判断という形が良いと思う。そもそも、子供の気持ちいい~などは、周りのリアクションなどで大きく変わってくる。逆上がりが得意な子供がいても、それを賞賛されれば、楽しくなるが、そもそも、逆上がりに対して、何の賞賛もなければ、気持ちよく感じなくなる可能性が高い。そのため、私は、本能教育+生活教育、そして、体験!といったところを軸に教育計画は考えていくべきだと思う。