オンライン青春小説「国道302号線を歩く」6

オンライン青春小説「国道302号線を歩く」6

エレベーターを下りると、新宿の灯が目に飛び込んできた。もう外は暗くなっていたのだ。夏とはいえ、八時近いとさすがに店に明かりがつく。ピンク色の看板型ネオンに、豆電球型の白色灯。オレンジ色の文字が走る電子掲示板もはっきり見える。ワシントンホテルの通りを、僕はとりあえず靖国通りに向かって歩き出した。呼び込みの中年やネクタイをゆるめたサラリーマンを避けつつ、僕はふらりふらりと大通りに流れていった。

靖国通りに出ると、車の通りも人の通りもワシントン通りの比ではなかった。曲がり角には必ずと言っていいほど易者がいるし、街をふらつく若者たちが道をふさいでいる。当然、ノイズもひどかった。ホストクラブ”愛”のアナウンス放送やらパチンコ屋から流れる最新邦楽。人の話す声や笑い声だって、次から次へと耳に入ってくる。車のエンジン音が聞こえたかと思うと、タイヤが破裂する音さえ聞こえる。まさに、新宿バーニングタウンを象徴するような通りだ。

もっとも、この道が嫌いなわけじゃない。一人でいるならば、この道がむしろ好きなぐらいだ。にぎやかだし、人が多い分魅力的な人もたくさんいる。街のノイズだって、そんなに気にならない。

けれど、今の僕には受け入れにくい。確かに飲み会の場よりも開放感がある。だが、人を避けつつ歩いたり、飛び込んでくる街のノイズを無視し続けるには、僕の気分は沈みすぎていた。とてもじゃないが、自ら弾けて、この通りに同化することはできなかった。もどかしい。いつもなら可能なことができないとは、こんなにも、もどかしいことなのか。

 

呆けてそんなことを考えながら歩いていたせいか、僕は靖国通りの信号につかまってしまった。靖国通りを横断しなくては新宿駅に戻ることはできない。歩みを止めて、信号を待つ。一分、二分。そのぐらい待っただろう。信号が青に変わった。向かいからたくさんの人が横断歩道を渡ってくる。僕も横断歩道を渡って新宿に向かう。向かいから来る人たちと、僕と同じように新宿駅側に横断しようとする人たち。この二つの群れが混じったとき、僕は人の群れの中に巻き込まれた。避けなくちゃいけない。止まっちゃいけない。進まなくちゃいけない。戻ってはいけない。人が無意識に作った”いけない”だらけの檻の中に閉じこめられた。電車に乗ってもそうだろう。この時間でも新宿から山手線に乗り込めば、かなりの人混みが予想される。思えば、飲み会という囲いからやっと抜け出せたのに、何でまた人が造った電車という囲いの中に入らなくちゃいけないんだろう。

 

そう思うと、新宿駅に向かうことが馬鹿馬鹿しくなった。いつもの僕なら、大人しく新宿から電車に乗ったかも知れない。しかし、今の僕にはそうしたくない何かがある。だから、僕は靖国通りを渡りきると、市ヶ谷方面へと歩き出した。靖国通り沿いに西へ西へと歩いていけば、この道の先に東京駅がある。東京駅から乗れば、電車は新宿よりかは空いている。うまくすれば、席に座っていくことができる。もっとも、座って帰れることの魅力よりも、僕は自由に歩ける開放感に魅力を感じていた。歩き回って、体に疲労がたまれば、この沈んだ気持ちも忘れられるかも知れない。

 

靖国通り。繁華街である歌舞伎町周辺は人通りが多い。しかし、五分も歩くと、その繁華街の人混みも霧のように消えてしまう。時折、繁華街の方に向かう人がいるだけで、僕と同じように遠ざかっていく人はいない。もっとも、車線を走る車だけはひっきりなしに僕の横を通り過ぎていく。

時々、僕は後ろを振り返る。ネオンの光る明るい街、新宿。つい何分か前までは、僕はあそこにいた。僕はあそこで酒を飲んでいた。それなのに、今僕は…。僕の周りは繁華街ほど明るくない。いや、ここは暗い。周囲が緑に囲まれていて、車道の照明と車のヘッドライトが唯一の明かりといってもいいぐらいだ。さっきまではあった人影も、今ではほとんどない。街のノイズだって、こことあそことでは全然違う。ここには人の声がない。

見えない、聞こえない。だから、人を感じない。僕はさっきまで人によって作られた檻の中にいた。だが、今は”一人”だ。

右手にヘッドライトに照らされたタバコの自動販売機が見える。僕は不意にタバコが吸いたくなった。鞄からライターとタバコを取り出すと、僕は口の中にタバコを荒らしく放り込んだ。そして、口から落ちぬように唇をギュッと噛み締める。風で火が消えぬように、左手でライターの点火部分を覆い、僕はタバコに火をつけた。

シュボ。

耳元に届いた、ライターの点火音。そういえば、飲み会の最中、僕はライターの点火音を耳にしなかった。今は響き渡る音が、あの時は少しも響かなかった。ライターはここが静かだから響いたのか。僕にはそう思えない。