オンライン青春小説「国道302号線を歩く」7

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オンライン青春小説「国道302号線を歩く」7

石畳の名もなき橋を渡った。市ヶ谷にある自衛隊駐屯地の白い塔を見上げた。僕は靖国通りを歩き続ける。タバコに火をつけ、何度もその火をもみ消し。何かを考え、考えついた何かを忘れ去り。立ち止まって靴の紐を結び直したり、右手から左手へ鞄を持ち替えたり。

歩いている間にも、容赦なく時間は流れていく。その時間が流れている間、ずっと僕は無口だった。開くことがないように口を固く縫いつけられているように。周りに知っている人がいないのだから、無言であることは当たり前なのだ。だが、思考の狭間で、僕は人としゃべりたいという衝動に駆られる。人恋しさに焦がれる。まるでサブリミナル効果のように、時間が経つにつれ、その想いは高まっていった。けれど、歩けど歩けど、誰にも会わない。誰かに会うはずはない。僕は人から離れることを望み、人から飛び出したのだから。人のいない道を選んでいるのだから。それでも、人に会いたかった。話してくれて、僕が大好きな人に会いたかった。

だが、そこに大きな矛盾がある。会いたいし話しもしたいが、会ってはいけないし話をしてはいけないような気がする。人に会えば、今の心ではまた離れたくなる。だからといって、また離れれば、また人に会いたくなる。このままでは繰り返しだ。それでは仕方がない。

今、心は荒んでいる。野ざらしに風が吹き続けている。変わらない、それは。それはとてもやるせなかった。この心は今という時間が過ぎれば跡形もなく消える。明日になれば、心を吹く荒涼の風は止んでしまう。結局は、元の穏やかな心に戻ってしまう。それでは今が無駄じゃないか。荒れた心のままでいたいわけではない。だが、また元に戻るのならば、意味がないじゃないか。今、僕がこうして耐えているのは何のためなんだ。今、こうしてやるせないのは、この心の動きさえ無であるということを知ったからかもしれない。心は天気のように変わるモノではなく、もともと黒くて形のない闇なのではないか。それではとてもやるせない。

再びタバコを唇に当てる。表面的には優しい顔で、何も起きていないようだ。けれど、この体の中には消えることのない無が隠れている。そして、それを今、絶望的に感じている。タバコに火をつけようとする。だが、なかなか火がつかない。何度やってもタバコに火がつかない。どうして火は着かないんだ。

歯がゆくなって、僕は火をつける手をいったん休めた。そしてなんとなく顔を上げて天を仰いだ。そこに星はない。けれど、滑らかな曲線で描かれた薄い月があった。わずかに顔を出したばかりの新月だった。

 

中央線・総武線の線路が見えてきた。気づけばそこは法政大学の裏手だった。線路に沿って、背の高い木の植えられた土手がある。高校三年生の頃に、法政大学の市ヶ谷校舎で河合塾の模試を受けたことがある。あれも暑い日だった。僕は寝癖頭のまま、模試会場に飛び込んだ。

あの時、僕は何を思っていたんだろう。ふと、そんな思考が頭をよぎる。けれど、僕はすぐにその思考を閉じた。今はこの線路の先にある東京を目指すだけだ。

電車が通り過ぎてゆく。僕の左手の方をものすごい速さで。いくつもの光を発射しながら、僕の横を通り抜けていく。電車の振動が足に流れてきたのか、足の疲れを感じる。少し重く感じる。

体に貯まった息をつき、僕はPHSをポケットから取り出した。知佳からもらったメールの数々を眺める。PHSのオレンジ灯の中、知佳からもらった言葉が僕の中で再生される。読んでも、笑いも悲しみもこみ上げてこない。なんだか人じゃなくなったみたいだ。自分に人としての生臭さを感じない。メールを読むのを止めようと思い、僕はPHSを操作した。

誤って、僕はゼロのボタンを押してしまった。オレンジの光の中、黒い文字でゼロがディスプレイに浮き上がる。

また、僕の横を電車が通り過ぎていった。さっきは黄色い車体の総武線だったが、今度はオレンジの車体の中央線だ。オレンジか。PHSのディスプレイの光と同じだな。偶然の一致に、僕は少しだけ笑った。電車のもたらす風が土手の上の木々を揺さぶり、濃緑の葉が重なり合う。耳に飛び込んでくる電車の騒音よりも、なぜか葉や木々の揺れ合い重なり合う音の方が鮮明に聞こえる。生きているものが発する音は耳に響きやすいのかも知れない。

 

法政大学の裏手から、旧家の立ち並ぶ九段下の方へ足を向けた。靖国通りからは少し離れてしまうが、旧家の並ぶ九段下の方が静かでいい。もちろん、靖国通りよりも人通りはない。それに道を照らす電灯も少ない。家々から漏れる明かりだけが、この道を照らしている。暗くて細い。犯罪を誘発しそうな道だが、僕はこんな道が好きだ。押入の隅っこに入っているようで、なぜか気持ちがいい。

長い時間のせいで黒ずんでしまった木材を使った家が建ち並ぶ。門構えは両手を思い切り広げたぐらいでは足りないほど大きく、武家屋敷を思い出させるような家が連なっている。深く掘られた井戸、使い古された墨と硯、旧字の使われた掛け軸が必ずどの家にもありそうだ。もちろん、門や家だけではなく、塀も高く長い。その塀も安っぽいペンキで塗られたようではない。クリーム色のシーツを張ったような塀で、汚れがついたらすぐにその汚れが目立ちそうな塀だ。だが、塀には汚れの目立ちがない。それだけ、この家々に住む人々が塀一つにも気を使っているのだろう。

塀を越えるほど背の高い木々もたくさんある。そして、その木々一本一本に数え切れないほどの緑が色づいている。時折、塀から僕を見下ろすように緑の葉が垂れている。自然が多いのも、この道を選んだ理由なのだ。

人も来ない。車の出入りさえない。風も止んでいるので、葉のこすれ合う音も聞こえない。これだけ静かだと、淡々と歩き続ける僕の足音さえ聞こえてくる。タパタパッと地面を擦るような音だ。昔から歩き方ばかりは変わらない。腰をかがめ、重心を前に落とした歩き方をしてしまう。そのせいか、たまにPHSがズボンのポケットで震えていても気づかないことがある。