オンライン青春小説「国道302号線を歩く」9

オンライン青春小説「国道302号線を歩く」9

そう。僕はあの時答えを見つけた気になっていたが、それは見つけた気になっていただけだったのだ。答えなんぞ見つけていなかったのだ。

五階建ての大きな書店である三省堂を右手に曲がった。いつも行くジョナサンが見えてくる。赤と白のラインが並んだ屋根のジョナサンがどんどん近づいてくる。いつもなら、ここに仲間がいる。止めどなくおしゃべりをしたり、軽く食事をしている。けれど、今はいない。外から営業中のジョナサンの中をのぞき込んでみたけれど、誰も仲間はいない。だからといって、僕が仲間と過ごした時間は”無”ではない。いや、むしろそこに時間はあったのだ。一貫した時間の流れにおいては、確かに”無”だったのかも知れない。けれど、あの時、確かに僕と一緒に笑ったり、食事をしていた仲間はいたのだ。そして、そんな時間を楽しく過ごした僕も確かに存在していたのだ。そう、”無”の中に、”有”が生じていたのだ。

 

ジョナサンのある角を左に曲がる。コンビニエンスストア”AMPM”や白とオレンジで構成された美容院が立ち並ぶ細い路地から、夜の神田へ足を進める。

そういえば、この細い道を一緒に歩いた仲間もいた。学校の帰りに歩いた。そう、この道にも楽しく過ごした時間があったのだ。明日にはまた生まれるかも知れない、そんな時間が。そう、僕ははっきりと気づいた。そんな時間があったと思えるのは、そこに”楽しい”という思いがあったからだ。その時間が楽しいという思いがあったからこそ、僕は疑いもなく、仲間といた時間があると思えたのだ。

荒んだ心は楽しめない。そして、荒んだ心のままの僕は”楽しくない”ということを受け止め続けた。だから、”楽しくない”時間を過ごすことに、そんな時間を過ごす場所に意味がないと思い、そこから抜け出せない自分にやるせなさや虚しさを感じたのだ。そして、”楽しめない”時間や場所はいづれ消えいくもの、いつか消えるのだから、この感傷さえ”無”だと答えを出したのだ。だが、”無”ではないのだ。確かに、それは存在する。醜く見れば吐き気さえ催すほどのものだが、確かに”楽しめない”時間や場所は存在するのだ。当然、そんな場所や時間に浮かんだ感傷も存在するのだ。存在するものを基準に感じた感傷だから無意味なわけがないのだ。

僕は荒んだ心のままの時間を楽しめなかったのだ。そう、荒んだ心の時間を認めていても、そのままで良いと思わなかったのだ。そのままではイヤでどうにか抜け出そうとしたが、その抜け出し方が下手で、どうにもできなかったのだ。だから、それを無意味と判断してしまったのだ。あるがままを受け止めず、自分の心でいっそうその時間をつまらなくさせてしまったのだ。

はっきりと言えることは、今の僕は違う。東京駅まで歩いていることを楽しんでいる。また、あの悩んでいた時間を懐かしく思い、あの時間に戻れることを願うぐらいになっている。今の僕は持っている感傷をあるがままに受け止めている。”無”の中に、僕は”有”を生じさせたのだ。いや、”無”のままにある”無”の存在を知ったのだ。

夢から覚めた今の僕なら答えられる。

<ナニヲシテイルノ?>

そんな問いに、僕は答えることができる。

<タノシクトウキョウマデアルイテル>