時計台の歯車のように働いた 青春&友情小説「雨」4

青春&友情小説「雨」4

去年の夏、僕はやたら忙しかった。時計台の歯車のように働いた。朝8時には出社して夕方17時まで、ずっとアルバイトをしていた。昼休みも20分ぐらいしかなかった。僕のアルバイトは個別指導塾の講師で、立ち仕事。うちの塾では、60分単位で生徒が入れ替わる。だから、午後から来る生徒にとっては最初の授業であっても、こちらから見れば何人目の生徒といった具合なのだ。だが、それでも、生徒に対しては最初の生徒という感じで接しなければならない。真面目に、そしてテンション高く当たらなければならない。そうでなければ、勉強をしにわざわざ来てくれているのだから失礼だ。だから、僕は一日中テンションを上げ続けなければならず、それだけのエネルギーを排出し続けていた。

だが、それで終わりではない。17時に塾を終えると、18時からの家庭教師のアルバイトが待っている。オレンジ色の夕暮れを見ることもなく、移動しなければならない。しかも、その間に昼ご飯兼夕ご飯を食べ、そして、今日の授業の時間割り振りを頭の中で煮詰める。1日中、アルバイトのことしか考えていなかった。
そんな中で吸うタバコ。余裕などあったものではない。余裕がありそうに見えても、それはまさに煙のようなものだった。だから、タバコを吸うといっても、夕食を取りながらだったり、移動の間の短い時間に立て続けに吸うしかなかった。一本口に入れると、見る見るうちにタバコは白煙と化していく。2分もあれば、2本は吸っていた。あの時の僕は、”タバコを吸っている”という感覚が欲しかったのだ。多分、疲れで味もわからなくなっていただろう。また、タバコに対する飢えがいつも以上のうまさを感じさせただろう。僕はタバコを吸っている自分を欲しがった。砂漠で水を求める冒険者のように、僕はタバコに飢え、乾いていたのだ。

そう、まさにあの頃の僕の吸い方が今、目の前で繰り広げられているのだ。飢え、乾いた者たちの欲求を満たす姿。見ているだけでも、僕の胸はひねられたように痛む。幸いなことに、今の自分がそうではないことに気づき、胸をなで下ろす。確かに、ある意味では甘酸っぱい感じもする。けれど、そんな甘酸っぱい感傷よりも、重いものが胸に覆い被さってくる。そんな重いものを否定するように、僕は今の自分の立場を思う。幸福に思えた。アルバイトや時間に縛られない生き方。今の僕は少なくともアルバイトに対しては縛られてはいない。深く考えると、時間に対しては縛られているかも知れないが、目の前の時間には束縛されていない。そんな自分が嬉しかった。タバコに飢え、味わう心さえ失った獣とは違う。僕は彼らとは違う。
雨の臭いが立ちこめるホームに、電車到着の放送がこだまする。しかし、放送の語尾ははっきりと聞き取れなかった。電車によってもたらされた一陣の風で、かき消されたのだ。だが、いい。放送された事実がもう目の前にある。明るい緑のラインが入った車両が、僕の前に到着したのだから。これに乗りさえすれば、僕は僕の街に帰れる。そして、ゆっくり。溶けるように眠るだけだ。
電車は喫煙所に残された白煙をかき消す勢いで、また闇の中に消えていった。おそらく、この電車は今日1日中、飽きることなく繰り返した。それをまた…。きっと、水が川を流れるように、ずっと飽きることなくこの動作は繰り返される。

品川駅に着くと、僕は山手線のホームから京浜東北線のホームに移動した。残りは2駅。あと少しで、僕の街だ。少しだけ足が軽やかになる。
京浜東北線のホームには、たくさんの人が立っていた。それを見て、僕はやれやれと思う。また、混んだ電車に乗るのかと思うとうんざりだ。そこで、歩きながら、僕は人があまり並んでいない乗車口を探した。

ホームの適当なところに止まり、僕は乗車口に並んだ。後ろから3番目ぐらいだった。
目の前の男の人の鞄を持つ手が異様に長く見えた。手が膝ぐらいまで伸びている。視界に入った瞬間、僕は驚いてしまった。だが、よく見ると、それは僕の目の錯覚だった。ただ、紺のスーツがよれよれで伸びているだけだった。もっとも、スーツのせいだけではない。鞄を持つこと自体が惰性になっていて、だらけて鞄を持っているせいもある。くたびれているんだな。僕は心の中でつぶやいた。こんな時間まで働いて、汗をいっぱいかいて動き回って。きっと、疲れたんだろう。襟足を短く揃え、整えられた後頭部。わずかに光る汗が彼の労働を物語る。しかし、僕は眼を伏せた。それ以上に前に立っている男を見ないようにした。あまりに痛々しい。