未来の形を作る青春小説「ブレイブ ピープル」11

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青春を感じる小説「ブレイブ ピープル」11

トシは僕の肩を強くたたいた。すごく体中に響く。この不思議な響きは何なんだろう? 僕はまた、うんとつぶやいた。僕の声を確認すると、トシはすぐさまに立ち上がり、障子を開けて、どこへともなく出ていった。

どのくらい時間がたっただろうか? 時計のない部屋では、時間の感覚が大きく狂う。それに、この部屋はシーンという耳鳴りばかりが聞こえる空間だ。まったく、時間なんてわかったものじゃない。結構な時間が経ったのはわかる。日がゆっくりと暮れてきているからだ。まあ、いい。とにかく、トシに言われたレシピの清書は終わった。初めての経験だったから、うまく書けたとはお世辞にも言えない。けれど、僕の文字はうまい具合に流れていた。これまでには書いたことがない字だった。新しい。いつもの自分の字とは全く違うような気がする。環境のせいかな。人差し指と中指をこすり合わせながら、僕は和紙に書かれた自分のの字に感心していた。

と、障子がスパンと開いた。

「おおーできたか?」

トシだった。トシはいつの間に着替えたのか、割烹着を着ている。

「ああ。一応。これでいいんですか?」

どれどれと言いながら、トシは一枚一枚を遠目で見たり、近めで見たりした。全部見終わると、やにわに笑い出した。

「よーし。ある一点を除いては、合格だ。さすが俺の目だ。人を見る才能があるよなあ」

「あの、何がいけないんですか?」

「おまえ、自分の名前をしっかり書けよな。じゃないと、誰が書いたかわかんねーだろ? まるで、俺が書いたみたいじゃないか?」

確かにそうだ。けれど、レシピに、自分の名前を付けるのも変な気がする。まるで、自分も料理と同じように食べられるもののような気がする。

「何、躊躇してるん? 墨が乾く前に書きな。料理も冷めちゃうぜ」

トシに急かされるままに、僕は筆を取った。そして、”木下太閤”の文字を。

「さあて、そいつを持ってついてきてくれ。たのむよー!」

どかっと立ち上がり、そそくさと部屋の外に出たトシ。僕はまたもや、トシに置いていかれないように背中を追う。

廊下を早足で進み、トシは突き当たりのドアをノックした。

「どうぞ」

さっきの老婆の声だった。今度は、トシは静かに戸を開けた。部屋に入る前に再び一礼をした。そして、部屋に一歩進んで、僕に入ってくるように目配せをした。

僕はトシがやったように頭を下げた。すると、冷たい笑いが起きた。

「まあ、まあ。お辞儀の角度が深いこと。最敬礼なのね、私に」

「あ、すいません」

思わず、僕は深くお辞儀をしてしまった。

「まあまあ、おばあちゃん。今日のレシピはこれです。どうぞ」

トシは僕にさっきの紙を持っていくように指示した。僕は真っ赤にした顔のままで、ゆっくりと老婆の所へレシピを運んだ。老婆は食卓に姿勢良く座っている。僕はに老婆を見ることができなかった。僕の書を見ている老婆をとても正視できない。恥ずかしかった。あんな風に人に自分の書いたものをじっくりと見られることが恥ずかしかった。中央にスズランの花が飾られている食卓を見るばかり。僕の目には、白いレースのテーブル掛けが鮮やかだったことが目に焼き付いている。

「わかったわ。じゃあ、早速始めてもらいましょうか、トシさん」

老婆は不適な笑みを漏らしながら、トシに顔を向けた。トシはかしこまりましたと言うと、僕たちの入ったドアと反対側にいるボーイに指示を送った。

どんな料理を持ってくるのだろう? トシの書いた文字を清書したとはいえ、僕にはトシの書いた内容すべてが理解できたわけではなかった。初めて目にする料理用語が並んでいたからだ。僕は固唾をのんで待っていた。

そんな僕の目の前に、ボーイが銀のトレイに載った料理を運んできた。サラダのようだ。バンバンジーソースのような色をしたドレッシングがかかったレタスが見える。中央にちょこんと載った鰹のたたきのような具がおいしそうだ。老婆はその料理を見ると、ナプキンの一番外側に置かれているナイフとフォークを手に取った。そして、まるで自分の手のように、器用にナイフとフォークを滑らし出した。バンバンジー色のドレッシングがたっぷりかかったレタスを掘り起こすと、中央にたたずんでいる具と一緒に口に運ぶ。あまりにこの食卓が静かなので、老婆の咀嚼音が聞こえるかと思っていたが、老婆の上品な口からは、いやらしい咀嚼音が漏れることはなかった。トシは老婆の食べている様子を見ながら、何かを考えているようだ。眺めているというよりは、静かにそこに立っていて、目がたまたま老婆の方へ向いているだけといった感じだ。

ボーイが次の皿を持ってきた。スープとパンだ。スープはコンソメスープのようだ。プーンと漂ってくるおいしい香りが、僕の食欲をそそる。お腹が鳴ったら不味いな。僕はふとそんなことを考えた。