料理は青春小説「ブレイブ ピープル」13

料理&青春小説「ブレイブ ピープル」13

四谷からかなり歩いたと思う。住宅街のちいさな路地をくねくねと移動した。その間トシは時に頭を猛烈に掻いたり、大声を出して叫んでみたりした。僕は背中を見ながら、トシは情緒不安定な人間なのかも知れないと感じていた。しかし、そんな中でも一度として、トシは道を引き返したことはなかった。おそらく、この辺の道を熟知しているのだろう。テットコテットコ歩き続けている。住所の書いてある蒼い道標を見ると、麹町に入っていた。

ビルの建ち並ぶ麹町に入っても、なお歩き続けるように見えた。疲れたなと思っていると、トシは急に立ち止まった。目の前には、白い背景に”赤船”と黒文字で書かれた看板が立っていた。

「歩かせたな。つい散歩しちゃうんだ。スマンスマン、スマンの生涯」

トシは笑いながら、ギャグらしきものをとばした。わけがわからない上に、寒いギャグだったので僕は聞き流すことにした。

「さ、いこっか」

トシは開き戸を横に開いた。いらっしゃい。生きのいい声が僕らを迎えた。トシも負けずに吼えた。ただいま。

「トシ? ここは実家なの?」

「いいや。でも、ここの板前さん、高杉さんっていってね、俺の親父代わりみたいなもんなんだ。料理では俺の助手だけどな? ねえ、高杉さん」

カウンターから、高杉さんはへへヘと照れた笑い方をした。

「さあ、どうぞ。ここに座って下さいな。先生」

カウンターを大きく拭く様子は、まさに庶民の料理屋という感じがした。トシは言われるままに、拭かれたばかりの席に座り、小指で後頭部を掻き出した。

「おいおい、先生とは大きく出たなあ。何も出ないぜ」

「ははは。坊ちゃんみたいな若造から何かを取ろうなんて思っていませんけどね。そうだ、何にします?」

すると、トシは僕に向かって、好き嫌いがあるかと尋ねてきた。僕は頭を振った。小さい頃から、僕は嫌いな食べ物があまりなかった。というよりも、好きなものもなかった。どちらかというと、食事に関しては無欲な方だった。

「んじゃあ、親父。任せるわ」

ヘイッと一言答えると、高杉さんはまな板を向きながら、笑っていた顔をキリッと真顔に切り替えた。

「親父、あとビールな。あ、やっぱり、美少年」

「美少年て何なの?」

「ああ、おまえさん、日本酒は飲める? まあ、さっぱりめな口当たりだから、平気だと思うけどな。冷やで頼むぜ。おお、わりいな」

小皿に乗せられたコップになみなみと、透明な酒がつがれている。トシは一滴でもこぼすのが惜しいという具合に、手で受け取りながら、口はコップにすすり付いていた。トシを見ているうちに、僕の方にも、その綺麗な液体が出された。トシは乾杯と言わんばかりに、僕にウィンクをしてきた。左手で小皿を押さえながら、右手でコップを上に上げて、トシの乾杯に答えた。日本酒というと、辛いイメージが強かったのだが、この美少年という日本酒はまったく違っていた。飲んだ瞬間から、僕の口の中にさっぱりとした味わいが溢れ込んできた。甘ったるいというほど甘くもなく、どちらかというとさわやかな味だ。

「お待ち遠様。どうぞ」

生きのいい高杉さんは、二枚のお皿と茶碗、お椀の載ったお盆を僕とトシの前に置いた。お盆の上に載っているのは、旅館に泊まると出てきそうなメニューだった。お盆の上では一番大きな皿には、てかったサンマの塩焼きと大根下ろし、それと青みの強いカボスが載っているだけ。もう一枚の皿は、手に乗るくらいの大きさで、イカの塩辛が皿の半分くらいに盛られている。もっとも、イカの塩辛のにしては赤々としていない。灰色をもっと曇らせた色だ。それに、赤味噌のおみそ汁。あたたかそうな白いご飯があるばかりだ。

「おお、成長したんじゃないの? 親父。客を見て、腹を空かせているかどうかを見破るなんてね」

「いえいえ。お父様には勝てませんよ、まだまだ」

「いいや。高杉の親父の方がすごいと思うぜ。天下屋では、こんなにきめ細やかな料理はしないぜ。謙遜するなって。まあ、いいや、食べてからだな。いただきます」

手を合わせてから、トシは割り箸を手に取った。お腹が空いていた僕もすぐに箸を取り、いただきますをした。

しかし、トシは食べるスピードが速い。咬んでいる間もないくらいに飲み込んでいく。魚をほぐすのも速かった。ほぐすと、次の瞬間には、サンマの実が口の中にあった。これで、料理の味がわかるのだろうか? 僕は少々トシの味覚を心配した。

「どうですか? ぼっちゃん」

「ん。丁寧だね。親身にやっている証拠だよ。うまいよ」

食べ終わって、爪楊枝で歯をいじっているトシは平然とした顔をしていた。