将来に悩む青春小説「ブレイブ ピープル」16

将来に悩む青春小説「ブレイブ ピープル」16

人に無理させといて、それはないだろう。僕はそう思いながら、ウィスキーの瓶を自分の袂に寄せた。そして、お返しと言わんばかりに、ウィスキーを美紀の赤いグラスに注いだ。

「ど、どうぞ」

喉がヒリヒリとしていて、これ以上は声どころか音にもならない。それでも、僕は懸命に美紀にウィスキーを勧めた。

「よーし、んでは飲んじゃおう」

美紀はグラスの中身をいとも簡単に飲み干した。一瞬だけ顔をしかめたが、ふいーという吐息とともに、そのしかめた顔を吹き飛ばした。

「ねえ、太閤さんって、何をやっている人なの?」

美紀は微笑を浮かべながらウィスキーをグラスに注いだ。もちろん、僕のグラスに溢れるぐらいに。

「え、ああ。僕は無職です。何もできない男なんですよ」

「そんなことないでしょう? トシはねえ、昔っから自分の利益に絡む事じゃないとしたがらないのよ。ということは、トシにとって、あなたは何かができる人。少なくとも、トシはそう思っているはず」

僕はトシの寝顔を見た。口を開けて寝ている。こんなにもぼけた男が、才能とは無縁な僕から利益を考えているようには思えなかった。

「そんなこと。僕はとてもトシに対して何かできるような人間じゃないですよ」

「そうなんかなあ。何か、あなたといるときのトシはかなり楽しそうだけどな。ひょっとして、トシはあなたの体が目当てだったりして。あたしみたいな美女といるのに、少しも手を出そうとしないでしょ? 実は男趣味ーなんて、オチがあってもおかしくないんじゃない?」

考えたこともなかったが、それはあり得るかもしれない。仮に、僕がトシの立場だったら、間違いなく、僕は美紀に手を出しているだろう。しかし、現実にトシは手を出すどころか美紀を口説こうともしていない。だが、僕にはトシが男趣味だとは思えない。

「まあ、いいか。トシには何か考えがあるんでしょうね? そうそう、太閤さんは生まれはどこなの?」

「藤沢。湘南の海で育った。でも、泳げないんですよねえ。情けないでしょ?」

美紀はエーという顔をした。身を乗り出して、美紀はすぐに理由を問いただしてきた。

僕にとって、それを答えることは容易だった。簡単な話だ。僕は水が怖いのだ。溺れたから怖いとかではなく、襲いかかってくるような波の勢いや岩盤を突き破りそうなほど強い波の音響が怖いのだ。小さい頃から砂浜に行くこと自体が怖かった。別に我慢して、波の音や波の勢いを見ていれば、それらに慣れてしまい、平気になったのかもしれない。だが、恐怖に耐えることができないのだ。一刻も早くつらい場所から逃げたくなるのだ。臆病者の僕は、普通の人なら、すぐに克服できるような恐怖に対する度胸も持ち合わせていない。

小さい頃から僕は臆病だった。何かに恐れおののき、周りにある物事から逃げていた。つらいことやイヤなことを笑ってごまかし、なるべく曖昧に通り過ぎていった。恐怖から逃げ慣れているのだ。友人に対して言いたいことがあっても、その友人との関係を壊したくないから言わない。問題点を解決しようとせずに、自分から諦めて、問題を曖昧にして、克服するのがつらそうな問題点から逃げる。子供の頃から、僕は問題から逃げることに何の罪悪感も感じていなかった。何らかの論理を組み立てては、問題から逃げた。そういう才能があったのだ。むしろ、立ち向かうことの恐怖、つらいことを耐えることの方がイヤだった。

歳をとるうちに、僕は自分の殻に閉じこもる術を覚えた。あたたかくて、とても居心地のよい自分の殻。具合が悪いことが起きると、僕は責任回避のために自分の殻に潜って逃げた。つき合いたくない人とどこかに行く約束をしてしまっても、病気で行けなかったと嘘をついて、自分が一緒にいなければいけないという責任から逃げた。いや、責任回避のためだけではない。自己の本音をさらけ出すことによって生じる無用なぶつかり合いをしたくなかったのだ。他者に意地を張ってぶつかるよりも、自分の殻に閉じこもって、なるがまま、されるがままにしていた方が楽だし、自分が傷つかなくてすむからだ。僕は自分の殻から出ない。いや、出られない。そういう点でも、僕は十二分に臆病だった。

しかし、そんな生き方のツケが今になってまわってきたのかもしれない。未来に対する不安が岩のようにのしかかってきている。もう、これ以上逃げることができないというところに追いつめられた。年貢の納め時。まさにそんな感じだ。

美紀は黙って僕の話に耳を傾けていた。何を話しても聞くよというふうに。美紀の母性が日頃からの鬱屈した気分を吸い込んでいってくれた。だから、僕は自分を出して話をすることができた。安心して、僕は話すことができた。

「へえ、でも、その話聞いていて、ピンときたよ。トシと太閤さんは似ているのよ。トシも無責任ところが多分にあるからねえ。もっとも、彼のはただのボンボン根性かもしれないけど。とにかく、何でも人にYESなのよ。それでさあ、自分に何かまずいことが起きそうになると、すぐに誰かの助けを求めるの。ここが太閤さんと違って、すごくやっかいなところだよね。普通の人は、もっと内向的になって、自分の中で解決しようとするのに、トシときたら、自分の中で解決させようという意志がないんだもの。もっともトシが助けを求めても、彼の場合、誰もトシを助けてくれなかった。お父さんは仕事で忙しかったし、お母さんは離婚して、他の家庭を作っているし。お父さんは仕事だけじゃなくって、自分の料理をお兄さんに教えることに熱中していたということもあるけど。結局、トシはいつも自分で問題を解決しなくちゃならなかった。たまーに、高杉さんとかお店の人が、話を聞いてくれていたみたいだけどね。友達も少なかったし。といっても、友達が少ないことは、彼自身の問題が大きいけどね。それで、ああいうひねくれた性格になってしまったわけ。あ、でも、ああいうひねくれた性格だから、こうなったのかな」

トシは僕と似ているのだろうか? いや、全然似ていない。

「似てないですよ」

「ええ、でも、さっきの太閤さんの話を聞いていると、太閤さんも人にあまり助けられなかった感じがするけど」

美紀の言うとおりだった。ただし、トシとは理由が違う。僕の場合、助けを求めることができなかったのだ。変に高くついたプライドのせいだろう。いや、怖かったのかもしれない。自分の無能さをさらけ出してしまうようで、親にも友人にも、誰にも自分の助けて欲しいことを話すことできなかったのだ。トシは違うのだ。その点で、トシは人に自分の弱みをさらけ出せた。真っさらな正直な自分を出せた。その結果、人に助けてもらえなかったとしても、もがきあがいて、自分一人で物事を解決していったのだろう。それが僕とトシとの最大の違いだ。


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