鈴木京香登場!青春小説「ブレイブ ピープル」6

未来系青春小説「ブレイブ ピープル」6

黄色いスポンジで油汚れの着いた皿をゴシゴシと力を入れて洗う。汚れの落ちていく様を見ていると、僕は久しぶりの落ち着きを覚えた。就職やら自分の夢やらと、大きなことにばかり悩ませていた頭が、平凡な日常に戻ったからだろう。洗い終えた皿があまりに神々しく光を反射するので、何ともさわやかな感じだ。体から熱が去ったせいもあるだろう。だが、それだけではなかろう。僕がこんなにもさわやかな気分でいられるのは、昼間の赤ジャケットのおかげもあるだろう。あの赤ジャケット、鈴木のぶっきらぼうさと、積極性、それに料理に対する真っ向な想いが心地よかったのだろう。僕には、目に映るものすべてがとても美しかった。排水溝の生ゴミネットに引っかかっているタマネギの皮さえ、一つの美を僕に語っているような気がしていた。僕は皿を洗い上げ、その勢いのまま、キッチンの掃除にも手を着けた。

キッチンの掃除を終え、床拭きも終えた。僕はさすがに疲れた。体の骨が腐った牛乳のように柔らかく、よろめきながら、体をベットに突っ込ませた。僕はベットに顔を引っ付け、何も写っていないテレビを視界に入れていた。そうして、疲れが収まるのを待った。荒い呼吸が聞こえる。

九時だ。掛け時計の金バリが9と12の文字を射す。そういえば、洋画の時間だ。今日は「郵便配達夫は二度ベルを鳴らす」がやるんだっけ。リモコンを探すのはやや面倒くさいが、僕は記憶の糸を手繰り寄せてテレビのリモコンを探した。少しぼんやりしていたせいで、頭が思うようにまわらない。おかげで、テレビの上にリモコンが置いてあることに気づくのに五分近くもかかった。さらに取りに行くのが億劫なので、僕はあるはずもないサイコキネシスという超能力で、テレビのリモコンがそばに来るよう念じてみた。しかし、当然、来るはずもない。変に集中してテレビのリモコンを睨んでいたので、余計に目が疲れてしまった。止む終えずベットから降りてテレビに近づいた。リモコンで僕は洋画のやっているチャンネルをつけた。

洋画は、マイケル・ダグラス主演の「アメリカン・プレジデント」だった。首を傾げながら、僕は画面に目をやる。まあ、いい。一度見たことのある洋画だが、ダグラス愛好家として、これはどうしても見なければいけない映画だ。ダグラスの渋さが画面一杯に溢れてきて、自然とニヤリとしてしまう。見ているだけで、心の中がほのかにあたたまるラブストーリーだ。何も考えず、何もせずに僕はマイケル・ダグラスにかじりつく。

だが、そんな思いを邪魔する音が聞こえてきた。玄関のベルが鳴っている。しかも、せっかちな人間が押しているらしく、ビービービー。ラインバッハの滝のように絶え間がない。ハーイと言っても、外の人間には聞こえないらしい。こんな時間に誰だろうと思い、僕は急いで玄関に出た。

ドアを引くと、そこに立っていたのは若い女性だった。これが僕の恋人か何かならば、それはそれはロマンチックなのだが、あいにくと彼女は僕の恋人でも何でもない。それどころか、見たこともない人だった。ツンとした表情で、口をキリッと閉じている。目も大きい。僕の口元をほころばせるのには、じゅうぶんすぎる美人だ。年は僕と同じぐらいだろうか、いや、僕よりも若そうだ。頬の肌の張り具合から、そう直感した。

「あの、何のご用ですか」

物腰柔らかく、僕は静かにたずねた。

「あの、私、下の階の者なんですけど」

さっきやった床拭きがうるさかったかな。ドタドタやってしまったから、たぶん、床拭きの文句だろう。早いうちに謝っておこう。僕は手を後ろに持っていきながら、すまなそうな顔をした。

「あの、非常に言い難いことなんですけど」

やはり、文句だ。まあ、仕方ない。言われる前に先に謝って、穏便に済まそう。判断と同時に、僕はピュンと頭を下げた。

「どうもすいませんでした、床拭きでバタバタやっちゃいまして。今度からもう少し静かにやります。今日の所はどうか許してください」

女はスットボケタ顔をして、俺を見ていた。そして、クスッと一つ笑い、言葉を発した。

「あの、そんなにバタバタやったんですか。私には何も聞こえませんでしたけど…」

「あ、はい? じゃあ、そのことではないんですか? それじゃあ、何の御用ですか」

開き直った僕は、先走りの照れを隠すために怒った口調で言った。

「謝ったり、怒ったり忙しいですね。ああ、そうそう。私の友達が、あなたを家に連れて来いってうるさくって。それで、あのご迷惑でなかったら、一緒に来てもらえませんか?」

「は? あの・・・部屋を、お間違いになってらっしゃるんではないですか?」

このマンションに住む友達はいない。だいたいこのマンションでは、顔を知っている人でさえほとんどいない。せいぜい、管理人さんと話すぐらいだ。

「いえ、この部屋だと思うんですけど。あの、お宅は木下さんですよね。間違っていませんよねえ、この表札?」

女は外を指さしながら言った。女のその言葉は、僕の胸に疑惑の釘を深く打ち付けた。確かに、僕を訪ねてきているようだ。だが、このマンションに知り合いなぞいない。まったく心当たりがない。いくら考えても不思議だ。

「確かに木下ですけど。あの、それで?」

「とりあえず、一緒に来てくれませんか? 連れてこい、連れてこいってうるさくて。とてもかなわないものですから」

女はしつこく、僕に自分の部屋に来るように誘った。僕としては、見知らぬ人の家に上がるのは気が進まなかったが、女の家に行くしか、この疑問の釘を引っこ抜く方法がなさそうだ。ひょっとしたら、旧友が引っ越してきて、驚かそうとしているのかも知れない。少しの好奇心が僕の小心を押しつぶした。