未来の形を作る青春小説「ブレイブ ピープル」9

未来形青春小説「ブレイブ ピープル」9

「お前、ホントーに惚れてんだな。あいつはいい女だぞ。別に俺と美紀は何でもないんだから、つきあってもいいんだぞ」

やっぱり、そうきたか。僕にはわかりきっていたトシの問いに、苦笑いをするしか他になかった。

黄色いジャケットに、黒のティシャツ。パンツはというと、黒のジーンズ。顔の大部分を占めるのは赤の色眼鏡。普通の鞄ではなく、ソニーの紙袋を持つ。まったく、センスのかけらもない格好である。そんな服装の人間が僕の横を肩で風を切って歩いている。前から歩いてくる女子高生がクスクス笑っても、トシはいっこうにお構いなしの顔だ。トシよりも、僕の方が照れてしまう。もっとも、僕は僕でよれよれのワイシャツに灰色のスーツなどを着ている。

「太閤。これから、俺は四谷に行く。どうせ、お前さん仕事ないんだろ? 当分の間、俺と一緒にいろよ。うまい飯も食わせてやるから」

疲れるだけの就職活動よりも、トシといる方がずっと楽しいだろう。僕はうんと答えた。トシについていくことはイヤな塾に行くよりも、友達と当てもなく彷徨う方が楽しいと思う子供の行動と同じことだ。目の前のイヤなことから逃げているだけ。僕ははっきりと逃げることの罪を意識しながら返事をした。

「そうか、そうか。俺についてくるか。よし、じゃあ、今日は大邸宅がどんなものかを教えてやるよ。そこの家、すんごい広いんだ。なんせ、女中が家を行き来するのに、歩く歩道使うんだ。歩道だぞ、波動じゃなくって」

誰もそんな聞き間違いはしまい。しかし、どうやって、そんなでかい家に出入りするのだろうか。トシの実家なんだろうか。天下屋の主ならば、それぐらいの資産はじゅうぶんにある。しかし、トシは自分の家を飛び出した身分だ。ノコノコ簡単には帰れまい。まさか、他人の家への不法侵入じゃあるまい。僕は不安感でいっぱいだった。

美紀の部屋を出てから、十分もしないうちにトシは電話をかけだした。それにしても道ばたであろうと、どこであろうと大声を出す男だ。いくら携帯電話でも集音力がそんなに弱いわけではない。それでも周りの通行人が振り返るくらいの大声で話すのだ。電話の相手もうるさくてかなわないだろう。

「じゃあ、後ちょっとで行きますから。あってないのが愛情、でも、俺がいる限り人生はハッピー。So Happy。ジャンドでした」

電話の終わりかたも独特だ。年がら年中のお祭り男とは、こういう奴をいうのだろう。僕はトシの後ろで感心していた。

「太閤ちゃん、これから行くところは金持ちの家だ。だがな、その勢いに負けちゃなんねいぞ。こっちは胸張っていきゃあいいんだ。わかっるっしょ?」

はいっと返事をしたものの、僕にそれができるかどうかは疑問符が残るところだ。小さい頃は平気だったのだが、僕は年を経るごとに、自らの貧しさに恥じてきていたからだ。なぜにこんなに貧乏なんだろう? 就職に関しても、貧富の差はハッキリと出てくる。金持ちの家の同級生など、親のコネを使って、大企業に就職が決まっている。それに引き替え、僕にはコネがあるどころか内定さえもない。自分がだんだんみすぼらしく思えてくる。ただ、金がないだけで、自らの価値さえも低く見られてしまいがちのこの世に、僕は流されているのだ。そう思うと、大邸宅に入って、胸を張っていられるかどうか疑問の残るところだった。

坂を上ると、チョコレート色の門が見えてきた。トシが言っていたとおりの、大きな門だった。

「さあて、ついたぞ。あ、そうそう、これは仕事だから、礼儀正しく家の中に入ってくれよ。挨拶もきちんとしてくれ。あ、でも、おまえさんに言うことはないか。いつも、馬鹿丁寧だもんな」

トシは大きく笑いながら、僕の肩をたたいた。僕には反論の余地もない。

「ごめん下さい。ジャンドのものですが、そうです。トシです」

門の脇についてあるインターホンに向かって大声を出すトシ。しかし、ジャンドとは何なのだろうか? 合い言葉だろうか。

「あの、ジャンドって何ですか?」

「ジャンドは、うちの会社の愛称。ジャンドエンタープライズっていう。こんなうさんくさい名前が正式名称なんだけどな。呼びにくいだろ? だから、ジャンドって言っているんだ。お、門が開いたな。いくぞ」

へ? 僕の頭の中で、ものすごい混乱が生じた。会社? そういえば、さっき仕事とかいっていたような気がする? 僕はトシについてきて、何をするのだろうか? ひょっとして、何かまた騙されていないだろうか。僕は混乱しながらも、口を閉ざしたまま、トシの後ろにくっついていった。

門から玄関までは、芝生の綺麗に整えられた庭だ。見渡す限りの広い庭で、少なくとも、東京ではここの他にはないだろうと思う。ヨーロッパの古城写真集に出てくるような、緑の溢れた明るい感じの庭だ。

「いらっしゃいませ」

ふいに横から、声がかかった。声の主は、気品溢れる老婆だった。手に持っているぶ厚い本が聖書のように見えた。

「こんちわ。お元気ですか? おばあちゃん」

「ええ、最近は。息子たちには頭を悩ませていますけどねえ」

「そうですか。んじゃあ、今日は俺の料理で心と頭を休めて下さいよ。ところで、何を作りましょうか?」

老婆はニコニコしながら、あなたの食べさせたいものを、と一言。張りのある弾んだ声だった。トシは胸をどんとたたいて、お任せをと言わんばかりに胸に右手を当てたまま、深くお辞儀をした。

トシは自分の家に入るようにドアを開けた。おじゃましますと一声あげると、すぐに靴を脱いでスリッパに履き替えた。そして、躊躇することなく、どんどんと家の奥へと進んでいく。僕は置いていかれないように、トシの後ろを必死に追いかけた。