青春小説「大学入門す」END

青春小説「大学入門す」END

「手術は成功です。眠っていますが、少し経てば話すこともできるでしょう」
皆の顔に生気がよみがえった。座ったままの佐々木の父親らしい人は揺すっていた体をビクンと波打たせた。

 佐々木のケガはさほど激しいものではなかった。病院に運ばれてきたときは、重体、最悪ならば、それ以上のこともありそうだっのだが、佐々木の魔物のような得体の知れない回復力が佐々木自身を救ったのだ。
僕は佐々木の眠っている部屋の中で、起きた佐々木が不安がらないようにと待機していた。クッションのところどころ破れているイスは座りにくかった。もっとも、座り心地が悪いせいで、僕は眠ることができない。これは好都合だった。佐々木のことを思うと眠りたくなかった。
時々、僕は佐々木の白い顔を見ながら、佐々木のことを考えた。しかし、この男は本当に不思議な男だ。才能が有り余っているおかげで、自ら生き方を苦しみ、それを隠すように半端な人間を装っている。だが、その有り余った才能で、僕に勇気を与え、色々なことを考えさせた。こうやって眠っていると、おとなしい男なのに。僕は微笑まずにはいられなかった。
白く動くことのなかった顔が時計の針が動くように微かに動いた。
「あ、体が痛い」
事故にあったんだから、体が痛いのは無理もない。事故にあった自覚のないけが人も珍しいものだ。
「起きたのか、佐々木」
「ああ、体中がイテーよ。俺さあ、事故って、遅刻しちゃったよ。ごめんな。せっかく、今坂の送迎会だったのになあ。まあ、日取りをずらしてやろうぜ! そん時は必ず呼んでくれよ。ここ抜け出していくからよ」
薄い笑いを浮かべながら、佐々木は小さな声でしゃべった。あまりにも佐々木らしい友を気遣った言葉だった。僕には十分すぎるほど、そんな佐々木が伝わってきた。
「少し寝ろよ」
「ああ、言われなくてもな。後一つだけ気がかりなことがあるんだ」
「何だ?」
「祐子ちゃんとはうまくいっているのか」
「ああ、おかげさんで。自分から距離を縮めているつもりだよ、素直にね」
佐々木の頬は大きく上がり、そして目が閉じられた。遊び疲れた子供のように、佐々木は優しく眠りに身を任せた。

恵比寿まであと少しだった。夏の暑さも、電車の中ではどこ吹く風だった。隣の祐子はあまりの涼しさに寒いのか、幾度となく体をさすっている。
「ねえ、佐々木君は元気なの?」
「ああ、死ぬような人間じゃないよ。もう、病院にいるのが暇で暇で仕方ないらしい。まあ。バイタリティーのカタマリみたいな奴だからな」
「ねえ? 私がさあ、入院してもこうやってお見舞いに来てくれるでしょ?」
「当たり前だろ」
茶髪に染めたばかり祐子の頭が僕の肩にのっかってくる。僕は左手を祐子の肩に回して、祐子の顔を引き寄せた。そして、小声でつぶやいた。
「愛しい人よ」

揺れる電車は次の駅へ次の駅へと進んでいく。何度となく止まって、また発車し出す。電車は、時には、人をひき殺すこともあるだろうし、草木を汚すこともあるだろう。同じように、僕が走ることで周りを傷つけることもあるだろう。その度に歩みを止めることもあるだろう。けれど、僕もこの電車のように止まっては走り出すのだろう。次の目的地へ、次の目的地へと。僕は人間だから、生きているのだから、周りを傷つけることは仕方がない。それを気にしていても仕方がない。まっすぐ目的地へと、素直に走って行くしかないのだ。
恵比寿の駅に降りた瞬間、僕には面白い考えが浮かんだ。佐々木に会ったら、こう言ってやろう。
「佐々木、俺たち結婚しようせ」
あれ以来、毎日看護に来ている今坂さんと顔を見合わせたまま、佐々木はこう言うに違いない。
「そりゃあ、俺の台詞だ」
高笑いをあげる佐々木の顔がまぶたに浮かぶ。