青春小説「大学入門す」11

青春小説「大学入門す」11

 渋谷のモヤイ像の前で、今坂さんと僕は米原と佐々木の来るのを待っていた。約束の時間から、すでに三十分。二人とも来る様子さえなかった。日が沈みかけていて、僕らの影が段々と見えなくなってきていた。
「ねえ、電話してみようか。あまりにも遅いもんね」
そう言いながら、今坂さんは麦編みの手提げ鞄からピンク色の携帯電話を出した。
「もしもし、梢チャン。私、今坂ですけど」
携帯電話の普及とは良いものだ。こうして、すぐに電話ができる。移動する手間が無くて良い。そんなことを思っている隣で、今坂さんは大きな声を出した。
「エー、そうなの? すぐ行くよ。場所は?」
何かあったのだろうか? 僕には今坂さんの声しか聞こえないから、どうなっているのかがまったくわからない。
今坂さんは電話を切ると、息せき切って僕の手を引っ張った。
「ねえ、佐々木君がね、事故にあったんだって。それで病院に運ばれたんだって。詳しいことわからないから、とにかく病院まで行こうよ」
言い終わるのがはやいか、、今坂さんはタクシー乗り場へと走っていった。僕は後ろからついて行くだけで精一杯だった。転がるように、今坂さんはタクシーに乗り込み、早口で行き先をタクシーの運転手に伝えた。
日石病院に着くと、今坂さんは五千円札を出して、すぐに降りていってしまった。お釣りをもらう気なんて、毛頭なかったらしい。僕はお釣りをもらっていたので、今坂さんに後れをとってしまった。僕が病院の中に入ったときには、今坂さんの後ろ姿を見つけることは不可能だった。仕方がないので、僕は看護婦さんに急患が来ている部屋を聞くことにした。
夜の病院は静かだった。音という音が封印されているようだ。そんな中を走っていくのは気が引けたので、早歩きで僕は急患室に向かった。しかし、急患の入っている部屋に近づくと、ガチャガチャと金属音が忙しそうに動いている。そこで、金属音の騒がしい部屋の入り口近くにいる看護婦さんにたずねてみることにした。
「すいません、先ほど事故で入院してきたものの知り合いなんですが、どこにいますか?」
「何時ぐらいですか?」
「うーん、ちょっとわからないんですが。そう、二十歳ぐらいの男の人です」
看護婦は皺だらけの顔をさらに皺だらけにして考えていた。
「そうねえ、今、手術室に入っている人かしら? だとしたら、手術室の方見てくれるかなあ?」
僕は頭を下げて、教えられたとおりに手術室に向かう。
白で統一された壁に挟まれて歩くのは、なんだか奇妙な感じだ。昨日まではこの白い壁に無縁だった佐々木も、いつの間にか、この白い壁に挟まれる運命にあってしまったのだ。未来には何があるかわからない。そう思った瞬間、僕は佐々木のことが懐かしく思えてきた。そして、少しでも早く佐々木の様態を知るために、僕は自分の発する音など考えず手術室へと走り出した。
手術室前には、佐々木の両親ぽい人と米原、そして今坂さんが座っていた。佐々木の父親らしい人はイライラと貧乏揺すりをし続けていた。
「あ、やっと着いたの? ゴメンね、先行っちゃって」
今坂さんは本当にすまなそうに僕に告げた。
「ああ、いいんだよ。これ、お釣りな。で、様態はどうなの」
「まだ、わかんない」
米原が会話に割って入ってきた。すると、初めて僕の登場に気づいたのか、佐々木の母親らしい人が立って、僕に挨拶をしてきた。
「遼のお友達ですか? すいません、来て下さって」
深々と下げる頭が僕には切なさを喚起させた。
「あのどのくらい手術室に入っているんですか?」
「もう三時間になります。どうなるか心配で」
僕が、そうですかと言おうとしたとき、手術室のドアが大きく開かれた。そして、葉色な手術着の医者を先頭に、佐々木を乗せたタンカーが出てきた。
「あの先生、どうなんですか?」
「手術は成功です。眠っていますが、少し経てば話すこともできるでしょう」
皆の顔に生気がよみがえった。座ったままの佐々木の父親らしい人は揺すっていた体をビクンと波打たせた。

佐々木のケガはさほど激しいものではなかった。病院に運ばれてきたときは、重体、最悪ならば、それ以上のこともありそうだっのだが、佐々木の魔物のような得体の知れない回復力が佐々木自身を救ったのだ。