青春小説「大学入門す」2

青春小説「大学入門す」2

 だが、祐子と別れた後すぐに、耐え難い恐怖に襲われた。また、ひとりぼっちになるのか、僕は大学でも友達のいない人生を歩むのか。僕はどうしようもない焦りを胸に抱えたままで、入学式の日を迎えた。

この日のために買ったスーツを着込み、僕は家を飛び出した。急ぐ理由など何もないのに、自然と歩く速さが速くなる。おかげで、入学式の一時間前に、僕は大学の校舎に着いた。
一時間前だというのに、入学式の会場である体育館は、バーゲン会場さながらの混みようだった。人混みを避けながら、体育館の中央に並べられたスチール製のイスに、僕はゆっくりと腰を落とした。だが、十分も経たないうちに、僕は席を立った。子供の入学式という晴れの舞台を見に来た女親の香水のにおいが充満していて、僕の鼻がおかしくなりそうだったからだ。来るときに見つけた体育館の横のベンチに座り、時間の経つのを待った。知っている人はいない。もちろん、祐子もいない。言葉を忘れたように、僕はしゃべらない。当然のように、僕は孤独だった。まるで、人間一人、動物の群の中に放り込まれたような感じだ。そんな中で、僕は生活していけるのだろうか。今にも泣きそうな空を眺めながら、僕は本気で僕の未来を疑っていた。
あと三十分。入学式が始まるまで、あと三十分もある。何もすることもない。文庫本でも持ってくればよかったと思い始めていた。そんなとき、僕は久しぶりに人の声を聞いた。
「すいません、となり、よろしいですか」
僕と同じようにスーツを着た男が笑いながら立っている。
「・・・。ええ、どうぞ」
不意に話しかけられて、僕は驚いていた。そして、どうすればいいのかわからなかった。この隣りの男に何か話さなければいけないのだろうか。そんなことを考えているうちに、となりに座った男は上着の内ポケットからタバコを出した。そして、当たり前のようにタバコに火を付けた。
「吸います? あ、それとも、タバコ嫌い?」
タバコは別に気にならなかった。また、僕にはタバコを吸う習慣がないので断った。男は僕の返事を聞くと安心したようだ。目を細めて、おいしそうにタバコを吸っている。
「ねえ、ここの大学に入るの?」
タバコを指先で持ち替えながら、隣の男は話しかけてくる。
「ええ」
当たり前だろう。こんな格好で入学式会場にいるのは新入生ぐらいなものだ。僕は少々隣の男の頭の出来を疑った。
「そう。俺もそうなんだ。んじゃあ、よろしくね。3組の佐々木 遼っていいます。君は?」
「僕も同じ3組。3組の近藤 雄次。よろしく」
同じ組か、この男。口数の多い男だ。
「ねえ、なんか入るサークルとか決めてる?」
僕はサークルというものに関して無関心もいいところだった。入る気もほとんどなかった。やりたいスポーツもないし、音楽や美術に興味もない。ましてや文学なんて、空想好きな非現実主義者がやるようなことだ。
「決めてないけど」
「そうなんだ。俺さあ、クリント・イーストウッドみたいに映画に出たいんだよね。それで、ムッチャ大儲けしたりして。なんつったって、ハリウッドの”ドル箱スター”だからね。演劇のサークルとか入ろうかな。んでも、イチローみたいに野球で稼いでもいいし。でも、ブームはサッカーだよね」
まったくとりとめのない男だ。節操なんて言葉の欠片もない。
「ああ、でも、テニスなんかもいいよね。女の子たくさんいそうだし。あ、あの灰色のスーツにピンクのシャツ着た女の子。ほら、あの白い建物の前を通った子。すっごいかわいくない? ああいうのタイプなんだよね。ムッチャかわいい」
はっきり言って、僕はこの手合いの男が一番嫌いだった。無節操、無教養、そのうえ金銭主義。へんに人なつっこいうえに、始終笑っている。滑稽な人間の鏡だ。こういう男と交わりたくないから、僕は孤独になっていったのだ。こういう輩が多い世間だからこそ、僕は社会の環から離れていったのだ。
「けどな、俺、本当は小説を書いて飯を食っていきたいんだ」
今の声はトーンが違った。すごく低かった。これまでの明るい声とは全然違う。重い、とてつもなく重みのある声だった。僕は、佐々木という男が、今始めて本音を語ったことに気づいた。
「なんで?」
「あらら、なんでだって。これまた、無粋なあ」
また、さっきまでのおちゃらけた声に変わった。青春ドラマのように空を見上げ、それから佐々木はタバコを下に落として、いまいましげにタバコをもみ消しながら言った。
「そろそろ入学式始まるぜ。行きましょうか」
佐々木は立ち上がると、そのまま体育館に向かって歩き出した。これまでにない男のタイプだ。僕はそう直感した。