店長がこの仕事を選んだ理由・・恋愛小説「堕天使色」20

「それで、この仕事をなぜ?」

「私は君と同じように、人を守ることはできても、守られることに身を任せられるほど勇気がなかった。だから、自然、それに気づいたとき、それを学びたがった。学ぶのにもってこいなのは、愛のあふれる場所に働くことだった。ここは、家族愛に、カップルの愛にと、愛に満ちあふれている場所だ。だから、ここで働きながら、守られ方を身につけようと考えた。そして、いつしか身を任せるという勇気を妻という形で実践できた。以来、ずっとだな、ここで学び続けている。この仕事で、今でもそうやって、愛の意味を学んでいるんだよ。うん。」

自分の言葉に、感慨深さを感じているようである。僕はいささか呆気にとられたが、その言葉を受けて、胸に何かが引っかかった。僕には、身を任せるという勇気がない。守られるということなど考えたこともなかった。守ることがあまりに能動的であるがゆえに、僕はその能動さを求めるがゆえに、守られるということの積極性を一度も感じたことがなかった。守られるということに身を置くことの大切さを今初めて知ったような気がした。おぼろげに恐さを打ち破るものが見えた。明かりのない、暗いトンネルに赤い非常灯がついたような気がした。

「店長、どうもなんか変なこと聞いちゃってすいませんでした。」

「いやあ、いいんだよ。若者は大いに悩み、大いに考え、育っていくんだからね。だけど、迷ったときは誰かに聞くのが一番だ。その相手に、選んでもらったんだから、こっちは光栄だよ、坂井君。」

席を立ち上がり、僕は深くお辞儀をした。そして、事務室を後にした。階段を下りる急ぎの足音は、暗くなった空に高々と鳴り響く。そして、バイクのエンジン音がうなり、夜の空気を蹴散らした。

 決心した。今から、百合に会おう。そして、百合に気持ちをぶつけてみよう。この身を任せてみよう。百合の気持ちに身を任せるんだ。百合に守ってもらうんだ。たとえ、それで、百合を失い、その悲しみに触れたってかまわない。守られることの勇気を手に入れるんだ。失う勇気を怖れていては、前には進めない。

 ハンドルを握る手が強く、強く、そして固く時をつかむ。

 風を遠ざけ、そしてアスファルトの上を弾丸のように走り抜けてきた黒いバイクは、百合の家の前で止まった。ヘルメットをハンドルにゆっくりと掛け、息を一つついた。長く、そして沈んだ息は白い息ではあったが、僕には白ではなく、僕でしかなかった。胸を一つたたき、僕は歩みを玄関に進めた。白いチャイムのボタンが僕を脅かす。しかし、もう、僕のチャイムを押し通そうという意識は止まらなかった。黒い革の手袋をはめたままの指は微妙に揺れていた。

「カラーン、カラーン。」

豪勢な音のベルが鳴り、僕を居すくませようとしている。一瞬たじろいだ僕ではあったが、今の僕は倒れない。応答のあるのを、じっと待った。

「もしもし、どなたですか?」

百合の声だ。僕は百合の父親や母親ではなかったことを、どんなに神に感謝したろうか。

「坂井です。」

「あ、丈。どうしたの、急に。朝帰っちゃったから怒ってるの?」

「いや、そんなことじゃない。話がある、というよりも言いたいことがある。山ほど言いたいことがある。」

「じゃあ、ちょっと待ってて。今、玄関開けるから。」

上がっていいのだろうかと僕はとっさに思った。しかし、今は躊躇すべき時ではない。今しかない、今しかないんだ。僕には弱気な自分を殺してでも、百合の家に入る決心の芽が育っていた。パサッと白いドアは開かれた。

「いらっしゃい。どうぞ、入って。何にもないし、汚いけど。」

「お邪魔します。」

「あ、家、今誰もいないの。お父さんとお母さんは伊豆に仲良く旅行なのよ。結婚記念日なんですって。」

「あ、そ、そうなんだ。」

拍子抜けした僕は体中の血がドッと流れたようであった。

「今日、ゴメンね。友達にアリバイ作ってもらおうと思って、電話したらさあ、世間話しているうちに、急に泣かれちゃってさあ。そっち行って話を聞こうと思って。今日、ここに泊まって、明日、料理を作ってよ。明日は一日中、一緒にいられるから。」

「ああ、それよりも大事な話があるんだ。」

刹那、僕は大事な話を明日に延ばそうとした自分を飲み込んだ。


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