兄と百合と・・恋愛小説「堕天使色」21

「うん、じゃあ、私の部屋で話しましょ。そこの階段上がって、右の部屋だから。ドアの所に表札っていうのかなあ、百合の部屋ってあるから。私は何か持って、後から行くから。ね。」

片目をつむりながら、百合は二階に上がるよう僕を促した。その下手なウィンクに僕は笑いと安心を浮かべながら、足を階段の段にあわせて上っていた。木製の階段はキシリキシリと音を出した。

 百合の部屋に入り、僕は座るところのないことに気づいた。なぜなら、そこがあまりにも華やかで、僕にはふさわしくないほど整っていたからだ。ピンクのベットカバーのベットに、大きさを揃えられ並べられている本棚。下に敷かれているピンクの絨毯は、青のカーテンに色を反射させている。ベットの上に無造作に置かれているスヌーピーのクッションでさえ、僕には縁遠きもののように見えた。止まる花を見つけることのできないミツバチのように、僕は百合の部屋を循環した。そうしているうちに、階段のキシリキシリという音が聞こえてきた。

「ああ、どこでもいいから座って。そう、部屋の真ん中なんかに座らないで。ベットの上にでも座ってなよ。」

お盆の上に二つのオレンジジュースと白いカステラを載せてきた百合が、笑いながら僕に告げた。

「そうそう、雨助。夕方ぐらいから家に来てるんだよ。連れてこようか。ね、かわいがってるもんね、あなた。」

そういいながら、百合はまた部屋を出ていった。僕はベットに腰を下ろし、ヘルメットを自分の脇に置いた。

「ほら、雨助だぞー。ほら、雨助。お前のパパだぞ。」

百合はその白いセーターの腕から、僕のレザーのジャケットの胸に雨助を抱き渡した。

「ほら、もっと気楽にしなよ。ジャンバーも脱いで。で、大事な話って、いったい何の話?」

「お前に言わなければいけないことなんだ。よく聞いててくれ。昔、俺はチンピラだった。学もなければ、正業に就こうという意思もない。半端な人間だった。なんで、チンピラになろうと思ったのかというと、俺には兄貴みたいな人がいてな、その人がそういう道を進むことを決めたから、俺も一緒についていこうと思って、その道に踏み込んだんだ。当時の俺は一生その人についていこうと思っていて、それで一緒に進んだんだ。俺は兄貴のことが好きで好きでたまらなかった。だから、その時は兄貴に会う度に、兄貴に好きだとか、いついかなる時も一緒にいようとか、ついていくよとか言ってた。まわりにも、平気でそんなことしゃべってた。だけど、その兄貴は突然俺の前から消えた。死んだんだ。HE IS DEAD SUDDENLYっていう具合にな。」

言葉が関を切ったように流れ出し、僕はノンブレスで感情のままに話した。百合に向けていた視線は、もっと遠く遠くに向けた。見えない過去に向けて話をしていた。

「兄貴が死んだって聞いたとき、まわりが見えなくなった。まわりがなくなった。あったはずの町が消え、あったはずの明かりが消えた。そして、あったはずの俺の腕や体さえも消えてしまった。兄貴を失った悲しみは深すぎた。しかも、その兄貴は俺をかばって死んだんだ。俺にまわってくるはずの仕事を引き受けて死んだんだ。兄貴も俺のことが好きで、ものすごくかわいがってくれていた。だから、きっと身代わりに死ぬことを覚悟の上で、代わりにその仕事を引き受けてくれたんだ。兄貴は俺に手紙を残していってくれた。兄貴が俺に残してくれた最後の言葉に、死ぬな、愛を探せってあったんだ。普段、死ぬときは一緒だとか、マジな顔で言ってたからなあ。兄貴は兄貴が死んだら、俺が後追いすると思っていたんだろう。そんなバカなこと、普通しないよなあ。でも、俺はそういうバカだから、そんなこと平気で、その言葉がなかったらしてた。その言葉があったから、俺は、まわりから口ばっかな男と、白い目で見られようと生きることを決めた。その形見の言葉は生活に俺を留めた。」

やっと、一息ついた。隣に腰をかけている百合は下を向きながら聞いている。僕が悲しい目をしているから、僕の目を見ながら聞くのは辛いのだろう。僕はそれを悟っていながらも話を続けざる負えなかった。百合にすべてを話さないことには、僕は百合に愛を伝えることができないような気がしていたからだ。

「兄貴の死という悲しみを少しでも忘れるために、俺には自分を没入させるものが必要だった。それは麻薬でも、アルコールでも良かった。だが、俺を埋没させたのは麻薬でも、アルコールでもなくて、受験勉強だった。そんな忘却のための勉学の結果、大学に進学することになった。東京の大学を選んだのは、勝浦にいると、兄貴のことが目について仕方がなかったからだ。すこしでもその悲しみを忘れようと思ったからだ。忘れようとしなければ、狂いそうだった。だけど、どこにいても、変わらないもんだ。あの悲しみだけは忘れようとも、忘れることはできない。黒板に描いた落書きは黒板消しでスーって消える。でも、黒板に残ったナイフの切り傷は消すことはできない。同じように、俺は兄貴を失ったという傷は忘れることができなかった。時々、俺の顔、惚けてるだろ?あれは兄貴のことが胸に浮かんで、どうしようもなく悲しいときにごまかす唯一の方法なんだよ。何年もたった今ですらそうだから、兄貴を失ったときの辛さを思うと、深海に身が沈むようだよ。」

僕はまたもや言葉を閉じた。静かな世の沈黙は、僕の心にある闇と同じくらい深く、黒いものであった。