web小説「KURO-N(クローン)」4

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「だがな、お前、俺はクローンじゃない。その証拠に、俺は今日俺のしたことをすべてはっきりと覚えている。今日、あったこともだ。」
「ほー、たとえば、何かね。」
「うーん、例えばだ。例えば・・・・。」
答えに詰まった俺は、うまく言葉を出せずにもどかしかった。それを見た秘書は、不意にとんでもないことを言い放った。
「そうだ、校長代理。今日の私のパンツの色は何?」
秘書のヤツ、ここに事務長のいることを意識していないのか。それとも、気が動転しているのか。ここで、俺が答えても、確かに本物であるということの証明にはなるが、それは秘書との肉体関係を暴露することを招くじゃないか。
「さあ、答えてよ、二人とも。」
まるで、大発見した科学者のように無邪気に質問を続ける秘書。事務長は答えの行方を渋い顔をして見ていた。
「そうだな、黒。黒のパンティーだ。」
ヤツはそう答えた。その答えは、秘書にヤツが偽物であるということを認識させるのには十分だった。
「はずれ。あなたがクローンね。」
「おい、秘書。はずれだってか。でも、こいつも答えてないんだからなあ。こいつもクローンかもしれないぞ。」
居直り強盗のように、ヤツは俺を攻めた。すると、秘書の視線も俺に向かってきた。その視線は紛れもなく疑惑の視線だった。だが、俺には容易に答えることはできなかった。ここで答えてしまっては、俺が秘書に手を出したのが事務長にばれてしまう。そうなると、俺はこの塾に居づらくなってしまう。俺は自分の地位を失うことを怖れていたのだ。
「さあ、答えてもらいましょうか、校長代理。」
答えて見ろよというヤツの沈黙の訴えかけが、俺を自暴自棄にした。偽物扱いされ続けるよりも、まだマシだ。
「今日の、秘書のパンティーは水色。」
思わず、俺は大きな声で叫んでしまった。
「校長代理、そんな大きな声出さなくっても。」
秘書の頬がリンゴのように赤らんでいく。
「ほー。どうやら、そちらさんが本物のようだな。俺が偽物だということはわかったらしいな。では、バレタところで俺は帰りますかな。」
そういうと、ヤツは机から脚をおろして、席を立った。そして、忌々しげに、棒立ちしている俺の顔を睨んだ。俺と同じ眼孔は憎悪の塊だった。鏡に睨まれているような錯覚に陥った。
「おい、これからも元気でな。本物。」
ヤツはそういうと俺の肩をポンと叩いた。俺はその手を払う。すると、ヤツは急に俺の髪の毛を引っ張った。
「何するんだ。痛いじゃないか?」
事務長が急いでヤツを俺から突き放すと、俺はナイフで傷をえぐられたような激しい痛みとともに、髪の毛をかなりの本数むしり取られた。
「フン、じゃあな。」
そんな言葉をおいて、ヤツはドアを閉めていった。呆気にとられた俺たちは、ヤツの出ていく様子をただただ呆然と見ていた。
「あいつは何だったんですか、校長代理。」
数分して、我に返ったらしい事務長が尋ねてきた。
「いや、俺にもよくわからない。だが、ヤツの言っていたとおりにクローンであったとしたら、怖いよな。」
「ええ、怖いわよね。私、あなたの相手だけでも死んじゃいそうなのに。」
「え?」
事務長と俺は顔を見合わせてしまった。二人して、最近の若い者は・・・という顔つきになる。
「でも、校長代理。これからもああいうことがあると困りますよ。生徒だって、動揺して授業になりませんからねえ。テキストのコピーっていうのは聞いたことがあるが、まさか講師のコピーができるようになっただなんて。冗談じゃないですからね。それから、石川君、ちょっとはずしてくれないか。」
「あ、はい。」
「秘書、そんな金色のマニュキュアなんか塗ってないで、しっかりと受付の仕事をしなさいよ。」
「ハーイ、校長代理。」
そういうと、何もなかったような顔をして、秘書は出ていった。
「校長代理。秘書の女の子に手を出すの止めてくださいって、前も言ったでしょう。あなたの女癖の悪さのおかげで、何人となく秘書は辞めてるんだから。一人前の教育者にあるべき姿じゃないとかなんとかいって、週刊誌に叩かれたら大変な目に遭いますよ。いいですか?校長代理。」
俺は小さくなって聞くしかなかった。フンだ、俺ぐらいの実績のある講師になれば、どこでも通用するんだぞ。俺はそう言いたかったが、今の地位が気に入っているので口を抑えた。
「じゃあ、よろしく頼みますよ。」
急にドアが開き、秘書が怒鳴った。
「そろそろ、講義の時間です。」
「おお、もうそんな時間か。事務長、すいませんが、お話はこれくらいで。」
俺は講義の用意をして、教室に向かった。だが、クローンが現れたということが俺の頭に動揺を呼び込んだのか、どこの教室で講義をするのかをすっかり忘れてしまっていた。受付に戻り、秘書に教室の場所を尋ねてから、俺は道具を胸に抱えて、教室のドアに近づいた。
開けたドアの向こうには、すでにただならぬ緊張感が存在していた。そうだ、こうじゃないと。受験生の気負いを頼もしく感じた俺は、授業に対する落ち着きを取り戻した。教壇に立ち、俺は講師としての職務に励んだ。さきほどの珍事をなたで叩き切るように、俺は授業という、今そこにある現実に生きた。
午後の講義が終わり、俺は帰り支度を始めた。今日はどこで飯を食おうか。そんな日常的なことを考えることができるほど、俺は朝の出来事を心に残していなかった。
「校長代理。明日は、校長と理事会の方々がいらっしゃる日だということを忘れずに。よろしくお願いしますよ。」
下駄箱のところで、俺は事務長に声をかけられた。俺に任せろと、俺は胸をポンと一つ叩いて見せた。事務長はぎこちなく笑った。事務長のぎこちない愛想笑いに、俺は事務長の俺に対する不信感を発見した。俺には、それがしゃくだった。むしゃくしゃした胸を抱いたままの俺は校舎を後にして、気分直しに一杯飲みに行くことにした。
最近、俺は「赤船」というきれいな小料理屋にせっせと通っていた。若い頃は、六本木や新宿のクラブなどに出入りしていた俺だが、最近はうまい酒が飲めて、落ち着くことのできる小料理屋の方が性にあっていた。それに、そこの店主の出す料理は、子供の時に味わったような懐かしい味がした。故郷に十年以上帰っていない俺としては、お袋の味というものをかみしめることのできる唯一の場所だった。また、最近常連として扱われるようになったので、他の客よりも優遇されているような気になり、それも気を楽しませていた。
店の暖簾をくぐり、カウンターの、ちょうど店主の前の席に座る。鞄を隣の席において、俺は日本酒の冷やを頼んだ。そして、テーブルの上に出されているおしぼりを手に取り、おしぼりについているビニール袋を剥がそうとした。だが、妙に頑丈な袋のために、そこから出すことは難しく、終いにはイライラしてきた。そして、思いっきりビニールを引っ張って、ビニールの袋をビリビリに引きちぎった。そしてビニールの袋から、やっと出てきたおしぼりで顔の脂を拭いた。ゴシゴシと、まるで顔を洗っているように、強く顔をこすった。そして、おしぼりをテーブルの上のおしぼり置きに放り投げた。