web小説「KURO-N(クローン)」5

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「京極さん、今日はご機嫌斜めですか。」
「ああ。ヤマさん。ちょっと聞いてくれる?なんか、うちの事務長。俺のこと信用してないみたいなんだよ。それって、すごく嫌なことだよね。」
「ええ、人が人に信用されていないことって、嫌なことですよね。私にもそう言う経験ありますから、わかりますよ。」
「それにさあ、今日は朝から妙なことがあってさあ。なんか、雲をつかむような話なんだけどさあ、聞いてくれる?」
「ええ、どうぞどうぞ。ここのなじみのお客さんの話の中では、京極さんの話が、一番聞く価値がありますからね。」
そう言うと、店主はジャガイモの皮を剥くために、休まずに働いていた右手の包丁を止めて、俺の顔の方を向いた。俺は、店主の真摯な態度が嬉しかった。
「で、どうしたんですか、朝?」
俺は今日の朝にあった、あの忌まわしいクローン騒ぎを話した。
「へー、そんなことがねえ。信じられませんが、うーん、世の中わからないことはたくさんありますからねえ。そう、うちのなじみの客で、ものすごい女好きの人がいてね、三宅っていう人なんですけどね。その人、ものすごく女の人にもてていたんですが、それが去年のクリスマス以来、パタッと女遊びを辞めたんですよ。三宅さんの女好きは地球上に女がいる限り続くと思っていたんですが、そんな人が女遊びを辞めるぐらいだから。今年はそういうわけのわからないことが続く年なんですよ、きっと。」
ウーンと、俺は一つ唸ってみせた。そして、コップに注がれた冷やを口に運んだ。
「そうだ、三宅さんで思い出した。私、京極さんのことを占ってみましょうか。これでも、私の占いは結構当たるんですよ。どうですか、ものは試しに。」
占いか。俺は二つ返事で、占ってもらうことにした。
店主は戸棚から一本の包丁を持ってきた。そして、俺に髪の毛の一本を渡すように告げた。力任せに髪の毛を引っ張って、俺は髪の毛を一本抜いて、それを店主に手渡した。店主は俺の黒い髪の毛を包丁になすりつけた。俺の髪の毛を包丁に当てて、そこに陽のように燃える目を向けていた。そして、幾度か一人で納得したり、うなってみせたりした。そして、おもむろに渋い顔を俺に向けた。
「京極さん。うーん、私、今回はまったく見えませんでした。あなたの先が見えるはずなんですが、重々しく黒いものしか見えないんです。まるで、黒い分厚いカーテンで未来と現在が遮られているかのように。これはあんまりいい暗示じゃないですよ。」
「そうか、気をつけた方がいいってことだよな。うん。わかった。ありがとう、ヤマさん。冷やをもう一杯、それに肉じゃがもらえるかな。」
俺は、占いなんて馬鹿なことを頼んだ自分が情けなかった。未来なんて、わかるわけないじゃないか。未来は自分の手で現在に作るものなんだから。馬鹿な行いをした自分が恨めしかった。
翌朝。俺はいつものように遅刻して塾に出社した。だが、今日は昨日のようなことはないであろう。靴箱を見ても、俺の靴箱には、俺がいつも履いている赤い中履きしかない。昨日のように、俺の革靴が入っていることはなかった。それを見ると、あるものがあるという安心感から、胸をほっと撫で下ろした。昨日のような、妙ちくりんなことはもうゴメンだ。
俺は自分の部屋に歩みを進め、自分の部屋で講義までの時間を予習に費やした。秘書も自分の仕事で手一杯だったのか、俺の部屋に足を運ぶこともなく、俺は一人の時間を過ごした。予習で机に向かっていたために、外を見る機会のなかった俺は、心地よいほど晴れていた空がいつの間にか曇っていたことに気づいていなかった。
いよいよ講義の時間になり、俺は予習ばっちりの頭に、やる気という潤滑油を流した。そして、イスからスクッと立ち上がり、黒のマーカーと赤のマーカーを手に取り、自分一人で占領し続けていた空間を出た。秘書に二言三言つげた後、俺は少し急いで講義室に向かった。たまには早く講義室に入って、生徒たちの様子を見てみようという好奇心がわき上がったからだ。それに、今日は理事や校長が来ている。授業見学とは、俺の腕を再認識させるいいチャンスだ。だが、教材を胸に抱え、足早に講義室に向かう途中、俺は事務長に出くわしてしまった。
「校長代理。今日は理事や校長がいらっしゃっているということをくれぐれも忘れないように。いつもの調子の授業でよろしいですから、しっかりとお願いしますね。」
「ああ。わかっている。」
俺はうんざりした口調で答えた。事務長は、その返答にいささか不満であったようだが、これ以上言っても仕方がないという諦めの表情をして、俺の前から立ち去った。時計を見ると、もう講義の時間である。早く行こうと意気込んでいたのに、事務長に邪魔されてしまった。
ドアの前で、俺はよしっと気合いを一つ入れて、いよいよ講義室に入った。入った瞬間、部屋の後ろにいる理事や校長に目があった。二人は目を何度もしばたいた。遅刻がそんなに驚くことであろうか。だが、二人はそんなことで驚いたのではなかった。なんと、教室には、すでに俺がいたのである。いや、俺に似たヤツがいて、すでに講義を始めていたのだ。
「何だね、君。今頃、ノコノコ入ってきて。あれ、何だ。何で、俺と同じなんだ?」 おどけた調子で、教室の中のヤツは言う。
「それはこっちが聞きたいくらいだ。」
俺は負けずに言い返したが、生徒のざわめきが俺の声をかき消した。
「君たち、静かに。これは一体どういうことなんだね?京極君。」
後ろで腕を組んで座っていた校長が前に出てきて、高い声で質問をした。すると、俺が答える前に、黒板の前にいる、俺に似たヤツがスラスラと答え始めた。
「ええ、僕にもよくわかりませんが、昨日もこんなことがあったんですよ。なんか、僕にものすごく似たヤツが、僕の部屋にいたんですよ。」
「それで?どうしたんだね。」
「ええ、昨日はなんとか追い返したんですが、今日も現れるとは。」
黒板の前の俺に似たヤツも、俺と同じように驚いた様子だった。だが、こっちを見る目線は、俺に対して好戦的な眼差しだった。
「校長。だまされないでください。そいつは偽物です。僕が本物の京極です。」
「何か、君が本物であるという理由があるのかね?」
鋭く校長の言葉は俺を貫いた。俺が俺であることに理由なんて要らないじゃないか。俺は俺しかいないんだから。だが、それを証明しろと言われると、容易には証明はできなかった。解答を見て、答えはわかっていても、答えまでの経過の出てこない数学の証明問題のようだ。俺であるということはわかっていても、相手に対して証明することは難しい。
「そうだ、君。昨日はどうやって区別をつけたんだい?」
校長の後ろで沈黙を保っていた理事が、黒子のついた唇で尋ねた。だが、俺は答えられなかった。おそらく、ヤツも答えられまい。秘書のパンティーの色で、区別をつけたなどということを、生徒の前で言えるわけがなかった。言った瞬間、講師としての権威の失墜だ。
だが、予想に反して、ヤツは生徒のいるこの教室に、理事の発言に対する答えを口に出した。生徒はどよめきだし、理事も校長も愕きの色を隠せなかった。後ろの方にいる、金で入れてやったのにいつも居眠りばかりの生徒が、このときばかりは、目をランランと輝かせて起きていて、しきりにニヤついた顔を見せつけてくる。
「ええ、諸君、静かに。今日の講義の続きは必ず行うから。今日は休講だ。あと、このことはみんな、校外ではしゃべらないように。」
さすがに校長は落ち着いていて、とりあえずの事態の収拾をつけた。俺は、ドアの横に立ったままだった。生徒が教室から出ていくのを、楽しそうに教室から去っていくのを、ただ見つめたままだった。
校長と俺、理事とヤツは四人で、俺のオフィスに集まった。
「冗談じゃない。今日みたいなことは、二度と起こさないようにしてくれ。」
校長は、困惑した顔で、理事の苛つききった顔を見ていた。その視線が逸れて、俺の視線とぶつかったとき、俺は自分が悪いわけでもないのに、自分が悪いような気がしてきた。
「でも、理事。ここの校舎に、私が二人もいるわけないでしょう。どちらかは、偽物ですよ。それもおそらく、クローンですよ。」
「クローン?」
「そうです、昨日ここに来たヤツも、そんなことを口走っていました。」
「ほう、今はやりのクローンかね?」
理事は疑い深い目つきで、俺とヤツ、どちらもじっくりと見据えた。そして、何かを考えついたのであろう。校長と、ドアの外に出ていった。俺はヤツと二人だけの空間に放り込まれてしまった。だが、俺はヤツと口を利く気はなかった。うんざりしている気分が、俺に疲れを誘い込んで、ヤツを問いつめるという行為をする気にはさせなかった。俺は、自分の革張りのイスに、ドカッと座り込んだ。異様なほど、腰が重い。