web小説「KURO-N(クローン)」6

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 口を閉じたまま、数分を過ごすと、校長と理事が再び部屋に戻ってきた。
「どちらが、本物か偽物か。それは・・・。」
校長の言葉をかき消すぐらいに、大きな声で、本物は俺だ、と俺は叫んだ。
「それは、関係ない。それよりも、どっちが講師らしいかだ。特に、うちの看板講師のことだからな。それでな、君。」
校長は、俺ではなく、ヤツを指さした。
「君を、京極校長代理とする。そっちの君は要らないから。」
その”要らないから”という言葉は、俺を激昂させるのに十分だった。俺は、校長に食ってかかった。何で、本物の俺が要らないんだ?と、何度も怒鳴った。
「さっきも言ったとおり、講師としてのふさわしさからだよ。君よりも、京極君の方が、授業に遅れてくるようなこともしないし、質問にも的確に答えてくれる。どっちが講師としてふさわしいか?君が本当に京極君なら、そのぐらいのことわかるよね。」
知らず知らずにつかんでいた校長の襟首を、俺はつかめなくなっていた。握る力が出ないのだ。顔も下を向くしかなかった。
「それじゃあ、京極君、がんばりたまえ。また、今度、見学にくるから。」
校長も、そして理事もいってしまった。この決裁は変わらないのか。
「ささ、出てってもらえますか、名無しの権兵衛さん。」
俺は顔をスクッと上げた。なぜ偽物に、こんな扱いをされなければいけないのか。俺は憤慨の眼差しを向けた。だが、その先には、俺がいた。俺は俺に憎悪を向けているのか。もしそうなら、あまりにくだらない。
急速に、俺は怒る気をなくした。足早に、俺は鞄を手に取り、自分のオフィスを出た。そして、途中で、秘書に合い鍵をもらい、自分の家でなく、秘書の家に泊まることにした。自分の家にはきっと、ヤツが来るに違いない。ヤツのことなど、見たくもなければ、考えたくもない。とにかく、それに俺は休みたかった。体が休養を求めている。
秘書の家につき、シャワーをまず浴びた。そして、バスローブに着替えると、俺はリビングのソファーでゴトッと倒れ込んだ。いつしか、俺は寝入っていた。体が、今は考えるなと言っているのだろう。泥のような眠りに、俺はついた。
夢うつつに、ドアのノブが回る音が聞こえる。どうやら、秘書が帰ってきたらしい。俺は起きあがって、リビングのドアの横に隠れた。リビングに入ってきた瞬間、驚かしてやろうという腹づもりなのだ。ガキッという鈍い音がして、ドアが開いた。
「だいじょーぶ?こんなに酔っぱらっちゃって。」
秘書の酔っぱらい声が聞こえる。誰かと一緒のようだ。俺が今日泊まるということは知っているはずなのに、誰を連れ込んだのであろうか。俺はリビングのドアから、その様子をうかがった。
「ほら、ちゃんとして。もう。」
秘書の甘い声に答える低い声。どうやら、男のようだ。俺がいても連れ込んでくる男。うーん、お父さんかな。俺は楽観的にそんなことを考えた。だが、次の瞬間の、その男の顔を見たときに、厳しい現実に飲み込まれた。その男は、そう、昼間のヤツ、俺のクローンだった。俺は、グデングデンに酔った俺の赤らんだ顔を、はっきりと目にした。
「おい、どういうことだ。」
俺はリビングのドアから飛び出して、秘書にくってかかった。
「え、あ、あんたね。だって、京極校長代理はこっちだって。校長が言ってたもの。今はあんた、誰なのかもわからない人よ。権威もなければ、職もない。そんな人が私の愛する人なんて、私のポリシーが許さないわよ。さあ、わかったら、鍵を返して。この人に渡すから。」
冷淡な口調で、秘書は俺に告げた。まるで、子供が古いおもちゃをおもちゃ箱に投げ入れるように。俺は呆然とした。あんなにも慕っていた秘書からも、俺は突き放され、必要がないという烙印を押された。俺は要らないのか。本当に、俺は。
立ちぼうけの俺の横を、誰もいないかのように、秘書は俺じゃない俺に肩を貸しながら通っていった。そして、俺の偽物を、本物がさっきまでいたソファアに寝かせ、俺に一瞥もくれずに、自分は上着を脱ぎ始めた。細くした目を伏せて、俺は自分の着ていたものを手に取った。何も言わずに、この部屋を出るより仕方がなかった。心地よい寝息を背に、俺は金属のノブを握りしめた。そのノブを回し、軽くでも押せば、そこはもう闇だ。
エレベーターの先にある、マンションの玄関のスロープに、俺は座り込んだ。丸めたスーツを抱え込んで、俺は膝に顎を乗っけた姿勢を保った。小さく自分をまとめ、少しでもふるえている自分を、外にみせたくなかった。外から吹き込んでくる気のない風が胸を寒くして、心の底からふるえさせる。明日からの生活、明日からの俺って。わからない。まったく先が見えない。寒さだけで、ふるえているのではない。俺は怖かったのだ。どうしたらいいのかも、そして、どうなるかの予想すらつかない。そんなこれからが怖かったのだ。
だいたい、人間なんて無力なものだ。勢いにのっているときはいい。だが、少しでもその勢いにのり損ねたら、このざまだ。人間一人の力でなんて、なにもできやしない。俺は人間という生物に絶望していた。
床に敷き詰められているレンガのつなぎ目を見ながら、俺は寒さの中でまどろみ始めた。このまま眠れば、死ぬかもしれない。だが、どうでもいい。俺に明日があっても、それがどうなのか。やるべきこと、すべきこともない。なぜなら、社会は、偽物の俺など要らないのだから。それとも、このまま俺は孤独を背負ったまま生き続けるのか?俺は・・。
視線を感じる。それもたくさんの視線だ。ふっと、顔を上げてみた。すると、不審な男を見る目つきで、たくさんの人が俺を見ていた。それでも、俺は恥ずかしくない。それよりも、俺は失望した。まだ、俺は生きてるのか。生き続けているのかと思うと、ため息が出てくる。俺は再び、下を向き、目を閉じた。
「もしもし、ちょっと、あんた。もしもし、起きなさい。ここで寝ていると、みんなの迷惑だよ。ほら立って。」
強引に腕をつかんで、俺を立たせるヤツが出てきた。俺はその腕を振り払い、座り込もうと、必死に腰を落とす。だが、その人は俺の腕をつかんで離さないどころか、周囲に力を貸すように頼みだした。おかげで、俺は二人の力によって、強引に立たせられた。だが、顔だけは上げたくない。そのぐらいの自由は与えられているようだが、俺の腕をつかんでいるヤツは、俺を玄関のほうに歩かせ始めた。されるままに、俺は動いた。腕のひかれるまま、俺は歩き出す。すると、外に出された。前には、パトカーが一台止まっていた。そこで、初めて俺は、俺の腕をつかんでいるヤツが警官であることに気づいた。警官が不審者を収容している。マンションの住人には、そんな図が目に映っているのであろう。まあ、それもいい。俺はパトカーの後部座席に乗せられた。尻がクッションを堅く感じた。
一度も止まらないまま、パトカーは目的地に着いた。車を降りると、そこは交番だった。ふーと息をつき、俺は意識的に顔を上げる。初めて見る警官の顔は、皺の多く刻まれた古い顔だった。その警官から、俺は席に座るように促された。
「君、着替えがあるようだから、そこのトイレで着替えてきなさい。その格好じゃ、寒いだろう。」
老警官はやんわりとした口調で話しかけてきた。
「着替えたら、飯でも食おうや、出前でも取って。ラーメンでいいか?」
俺は何も答えず、警官の言うままにトイレに入り、着替えを始めた。シワシワのワイシャツ。丸められて、折り目のついたスーツ。膝のところにマーカーの粉のついたズボン。すべてを着て、俺は昨日までの俺を思った。昨日までの、塾の講師としての俺をうらやましく思った。
「おーい、着替え終わったら、ここに座れや。な、どうして、君はあんなところで寝ていたんだ?それも、バスローブなんかで?凍死するぞ、下手したら。」
老警官は少しも怖い表情を出さずに、むしろ世間話をする好々爺のように詰問してきた。だが、俺は言葉をはっしない。口をつぐんだまま、俺は老警官を見続けた。まるで、痴呆患者のようだ。
「そうか、何かしゃべれないことでもあるのか。でもなあ、理由とかを聞かないとな、君を家に帰すこともできないんだ。うーん、困ったなあ。」
右の親指を口に持っていき、爪を噛み始めている。
「あ、そうだ。身分証明書を見せてくれないかな。これは必要なんだよね。」
俺は言われるままに、上着から財布を出して、財布ごと警官に手渡した。財布の中身を全部、机の上に出し、身分証明書を引っぱり出した。
「へー、西川崎進学ゼミナール校長代理、京極 彩。これは、あやって読むのかね?」
たてに首を振る。はー、そうだ、俺は校長代理だったんだ。今は、何でもない。塾の講師でさえも、京極 彩でもない。何でもない。
「うーん、じゃあ、ちょっと、ここに電話をしてみますかね。」
「しても、無駄ですよ。」
「へ?」
警官は、はじめての俺の言葉に驚きを感じたようだ。