web小説「KURO-N(クローン)」9

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 ドアが静かに開き、事務長が入ってきた。
「校長代理。テレビつけっぱなしですよ。音をもっと絞ってくれないと。」
何もない。事務長は普通の様子だ。
「校長代理。聞いていらっしゃるんですか。」
「ああ。聞いてるよ、イスから立つのが面倒で。」
「またそんなことを。いい加減にして下さいよ。」
久しぶりに俺は立ち上がった。そして、軽い立ち眩みにあいながらも、テレビのリモコンをテレビの上から取り、音量を落とした。再放送の西部警察の爆発音が、一気に遠い音になった。
「では、校長代理。そう、神原という方からの電話はどんな用件だったんですか。朝一番で電話があったそうですけど。」
「神原?そんな話聞いてないぞ。だいたい、俺は神原なんて知らないぞ。」
「わかりました。ちょっと、石川君に聞いてみましょう。」
事務長はドアを開け、秘書に向かって、こっちに来るように告げた。
「石川君。神原さんからの電話、まだ話してないの、校長代理に。」
「いえ、先ほどお話ししましたが。うんうんと肯いて、ここでお聞きになられましたよね、校長代理。」
俺には記憶がなかった。まさか、またヤツが。ヤツが俺の代わりに返事をしたというのか。
「校長代理。ひょっとして、寝ていらしたんですか?首をこっくりこっくりふっていらしたから、てっきり了解したのかと思っちゃったじゃないですか。もう、ちゃんと、これからは返事して下さいね。」
はー。そういうことか。寝ぼけていたのか、俺が。
「ゴメンゴメン。では、さっそく、電話するから、電話番号を。」
「はい、では少々お待ちを。」
「事務長、スマンね。今、電話してみるから。」
事務長は呆れ顔だ。大きな鼻の穴が伸縮している。
「もしもし。あの、西川崎進学ゼミナール校長代理の京極と申しますが。先ほどお電話をいただいたようですが。」
「ええ、神原と申します。校長代理の京極さんですか?」
「はい。」
「神原ですけど。憶えていらっしゃらないんですか?神原ですよ。」
声に聞き覚えはない。誰だかわからないが、適当に話をあわせていれば、そのうち思い出すだろう。
「ああ、神原さん。憶えていますよ。この間はどうも。」
「そうですねえ、この間はどうも。僕だってわかりましたか?」
「ええ、その声を聞けば。」
「その話じゃなく、この間のですよ、」
「もちろん。」
「いや、あんたは何もわかっていない。この電話をしている神原という人間が誰であるかもわかっていない。」
突然、きつい口調に代わった神原という男。記憶の海には、神原という人名が浮かばない。
「わかっていないようですね。こちらから、きちんと名乗りますよ。」
勢いのあった声が落ち、ひと呼吸の間がある。
「私は二週間前に、あなたから、馬鹿扱いされた生徒ですよ。最初からの予定通り、わけのわからないテストをして、からかった末、あなたが落とした生徒ですよ。」
俺は黙った。いや、黙ったというよりも、言葉を発してはいけないような気がした。
「思い出してもらえましたか。脅迫状の通り、あなたには最低な生活を送ってもらえたと思いますがねえ。」
「あれは、お前のしたことなのか?」
クローン人間を作り、俺を追いつめたのは、こいつだったのか?とっさに、俺は。
「そうですよ。どうです、悔い改めましたか?」
「おい、どういうことだ、俺をあんな目に遭わせて。」
「へー、まだ、そんなことを言ってらっしゃるんですか。いいです。もう。」
おいっと叫ぼうとしたが、遅かった。電話は切れたのだ。あいつがやったのか。ならば、あいつを止めなくては。あいつをどうにかしなくては。
「校長代理、どうなさったんですか?」
「ああ、事務長。今日はちょっと外回りしてくる。生徒の家もたまにはまわらなくっちゃな。」
「え、あの、電話の方は?」
「ああ、何でもない、昔の友達のいたずらだよ。職場にいたずら電話するなんてな、よっぽど俺をねたんでるんだな。」
俺は無理に笑い飛ばした。そして、できるだけ早く出かける用意をして、その間に秘書に神原の住所を調べさせた。午前の講義はとりあえず後だ。神原の家に急ぐのだ。
神原の家はひっそりとした住宅街の真ん中にあった。何でもない、普通の建て売り住宅だった。身だしなみを俺は点検した。
突然、違和感を感じる。本当に、こいつがやったのか。あんなガキに、クローンなんて、技術を操ることができるのか。インターホンを押しながら、俺は自問自答をした。まあ、いい。俺の疑問に対する答えは、目の前にあるのだから。
しかし、誰も出てこない。誰もいないのか。あいつ、逃げたのか。俺はもう一度インターホンを鳴らす。まだ出ない。何度も、何度も繰り返し押す。だが、いっこうに返事はない。くそ、逃げたのか。俺は神原家の玄関に背を向けた。が、その瞬間、本当にあいつがやったかどうかわからないのだという、さっきの疑問が喉元まであがってきた。どこかからこの家に入って、本当にあいつがやったかどうかぐらいは見て帰ろう。そうしないと。そうしないと、俺は不安でたまらない自分がいることに気づいていた。
とりあえず、ドアノブを回す。すると、簡単にドアノブはまわった。
「すいませーん、西川崎進学ゼミナールの京極と申しますが、どなたかいらっしゃいますか。」
当然のように返事はない。靴を脱ぎ、俺は靴を片手に家に忍び込んだ。玄関からリビングに、そして、リビングから二階に。誰もいないし、クローンを作るような機械とてない。普通の家とまったく同じだ。まったく、無駄足だ。
玄関を閉めた。だいたい、あんな子供に何ができるというのだ。何かできるはずがないじゃないか。自分の疑心暗鬼になっている姿が滑稽だった。あまりにバカバカしすぎる。
と、携帯が鳴り出す。
「はい、京極ですが。」
「先生、住居侵入罪ですよ。勝手に、僕の家に上がってこられては。」
背筋に、ぞーっと来るものがあった。
「お前、家の中にいたのか。」
「ええ。正しく言うと、庭ですがね。」
俺は携帯を持ちながら、家の周りを回って、裏庭の方に出た。そこには、地面に根付いた物置があるばかりだった。
「おい、この物置の中なのか。」
「ええ。入ってこられるんでしたら、どうぞ。今度は、住居侵入罪にはならないですよ。」
俺は物置の戸に手をかけて、ゆっくりと横に引いた。太陽よりも強い明かりが中から射し込んでくる。あまりのまぶしさに、俺は目を閉じた。
「どうぞ、中へ。」
携帯からの声とは違う。前に人がいるのだ。俺はなんとか前を見ようとして、ゆっくりと薄く目を開けた。茶色いジャケットを着た老父が前に立っている。老父は、どうぞという具合に手を下に向けた。手の方向には、地下への階段が続いている。