恋愛小説「愛はその時生きて・・・」END

恋愛小説「愛はその時生きて・・・」END

「彼らしいねえ」
雛形も以前に、謙から聞かされていたのだろう。うんざりした様子だ。
「あ、そろそろ、僕、帰ります。バイトの時間だから。ゴメンね」
「そうか。んじゃあ、みんなで帰ろう。あんまり遅くまでいても、おばさんに悪いからな。な、木津? 」
謙の部屋から離れることを木津は嫌がると、僕は予想していたのだが、意外にも、木津はパソコンの電源をさっさと消し、反対どころか、一番最初に謙の部屋から出た。まるで、木津自身が帰る用があるかのように部屋を颯爽と出ていったのだ。
雛形は市ヶ谷駅から帰るというので、謙の家の前で、雛形と僕たちは別れた。別れを惜しむ様子もなく、雛形は赤く焼けた町の中へ消えていった。
夕暮れというのにふさわしい時刻になっていたので、緑を主張し続けている木々も、太陽の夕日色にその主張を控えているようだ。晩春の夜の、孤独な寒い風が吹きだしていた。そんな中、僕と木津は四谷駅に向かってトボトボと歩き出していた。歩く速度が二人とも極度に遅かった。僕の歩く速度は木津の歩く速度にあわせていたので、歩みが遅いのは木津の歩く速度が遅いからであろう。やっぱり、木津は謙の家から離れたくなかったのかもしれない。そんなことを考えながら、僕は一歩一歩進んでいた。知らぬ間に、木津と僕との距離は離れていた。
双葉女子学園の校庭から、放課後、クラブ活動に精を出す女子高生たちの声が漏れてくる。張りのある黄色い声だった。青春の声だなっと思いながら、僕は人影まばらな校庭の方に目を向ける。
「ねえ、古西君。私さあ、もう誰かとつき合うのできないかもしれない」
唐突だった。何の脈絡から、そんな話を始めたのだろう? 僕はキョトンとした表情で、木津の顔に視線を向け直した。すると、木津は僕に聞こえなかったと思ったのであろう。もう一度、いや、さっきよりも一段と疲れた声で、さっきの言葉を繰り返した。
「そうか」
僕はどう答えるべきなのか。なんて言ってやればいいんだろう。言葉が見つからない。謙なら、こんな時に容易に答えることができるのに。僕の力では、優しい言葉もかけてあげられない。
「誰とつき合っても、結局は別れるんだもん。もう、こんなに悲しい気持ちになりたくないよ。こんなに淋しくなりたくないよ」
夕日が背中を射している。そのおかげで出きる逆光によって、はっきりと木津の顔が見えなかった。だが、それは、涙に溢れた木津の顔を見るよりも、何倍もよかっただろう。見えない方がいい真実だ。僕の前で、木津が目を背けるような真実を起こさせているのかもしれないのだ。木津が血のように痛みを伴った涙を流していることは、おそらく間違いではないだろう。そうなっては、僕は前を向くより仕方がない。そんな涙を、僕は見たくないのだ。僕が木津にできることは、懸命に木津のことを考えてやることしかなかった。他に、木津の心を洗う方法がわからないのだ。謙ならば、わかったかもしれないのに。
僕は木津よりも数歩先を歩き、木津は僕の背中についてくる。まるで、赤の他人たちのように、僕らは歩いていた。
カラーン・カラーン。
何の鐘だろう。どこかで鐘が。僕はぼんやりと立ち止まって聞き惚れてしまった。と、その鐘が僕に一つの思い出を語りだした。頭の中に、蜃気楼のように謙の顔と夜の大森公園が浮かんでくる。
12月の冬の日。バイトを終え、それでもまだ話し足りない僕たちは、バイト先の近くの大森公園で話をしていた。缶コーヒーのボス無糖を片手に、謙が僕に言っていた言葉を、僕は思いだしたのだ。
「古西、俺たちは生きてるよなあ。だから、こうやってお前とも話が出きる。たのしー、たのしーお話がな。でもな、いずれは死ぬんだよな。そう、生きるから、人間は死ぬんだよ。でもだからって、一つしちゃあいけないことがあるんだよ。それはな、死ぬことを怖れること。いつもなあ、生きているっていうことに胸を張って、生きて行くんだよ。それで倒れるんならいいじゃない? 俺たちは生きているからこそ、倒れ、死んでいくんだから」
あの時、不思議なほど謙の声はクリアだった。その言葉は、寒い冬の夜の冷たい風に負けるどころか、その熱さゆえに僕の心をじんわりと温めた。鋭く、少しの逃げ道もないような言葉なのに、あたたかい南の島の波のように穏やかだった。
そして、僕には、それが今、木津に話してやれることだとわかった。
「木津。そんなに怖がるなよ、悲しむなよ。そりゃあ、今は悲しむなって言っても無理かもしれないよ。だけど、いつまでもそう悲しんでいるべきじゃないんだよ。だって、俺たちは生きているから死ぬんだ。恋っていう感情が芽生えて、それが愛っていう感情に生まれ変わって、そして、謙の死とともに、その愛も死んだんだ」
「私は今でも、好きだもん、謙のこと」
「今は、それはそうだ。だけど、謙の死と謙への愛の死を、いつまでもごっちゃにしちゃいけないよ。いつかは、木津に好きな人がまた現れる。その時に、自分はまだ謙のことを愛しているのだからといって、その人を愛することを拒否してはいけないって言っているんだよ。愛はその時生きていたからこそ、ある日、突然に死んでしまうんだ。それは当然なことなんだ。だから、謙を愛していた日々を誇りに思って、自分の愛したい人を愛するべきなんだよ。自分の素直な気持ちを認めなくっちゃ」
「愛はその時生きていたから、か」
木津は失っていた支えを取り戻したかのように、僕を見つめていた。
「強く、謙への愛の死を受け止めて、それを誇りに生きていかなっくちゃ」
だめ押しのように、僕は続けた。だが、そんなだめ押しは要らなかった。木津は倒れ込むように、僕にすがりついてきた。
「でも、弱いから、私、弱いから」
木津は僕にすがりついたまま、何度となく叫んだ。僕は木津をしっかりとつかまえたまま、今はそれでいいんだと答え続けた。答えながら、僕は夢中になって木津の背中をなで続けた。木津を安心させたかった。木津の悲しみをこれ以上浴びたくなかった。浴びれば浴びるほど、僕の悲しみも積もっていくからだ。謙のあの日の言葉を思い出した僕には、その悲しみに埋もれてしまってはいけないと、はっきりとわかっていた。僕が今を生きているからこそ、いずれは死んでいくのだということを知っているように。

東京行きの中央線がスピードを抑えながら、朝靄漂うホームへ入ってきた。僕も木津も体中が溶けてしまうのではないかというほど疲れていた。電車に乗り込み、がらがらの席にドカッと腰をかけた。そして、電車がいつ発車したのかもわからないほど、すぐに眠り始めた。互いの体を、互いの体に保たれかけさせたまま、僕らは眠り始めた。東京で降りるつもりだが、このまま乗り過ごしてしまっても構わない。東京を越えて、高尾山に着いてしまっても構わない。今、僕の隣りに、僕の生きている愛を注ぎ込める相手がいるのだから