恋愛小説「愛はその時生きて・・・」3

恋愛小説「愛はその時生きて・・・」3

 謙が死んだのは、一ヶ月前のことだった。呑んでハイテンションになり、新宿の明治通りに飛び出した瞬間に、謙はその短い生涯を閉じた。黒いセダンが謙をその車輪に巻き込んだのだ。酔っていたために、血圧が高くなっていて、謙はそのために出血多量で死んだのだ。僕も木津もその場にいた。その場で、謙のこの世からいなくなる時を見ていた。木津は泣き崩れるのでもなく、悲しそうにするのでもなく、ひたすら謙の名前を叫び続けていた。僕は、謙の体から流れる赤黒い血が灰色のアスファルトを褐色に染めていくのをじっと見ていた。今でも、その光景は時々脳裏をかすめる。
僕にとっても、木津にとっても、また謙に関わったすべての人全員にとって、謙の死は轟くような衝撃を与えた。彼の優しい頭脳や激しい行動力。それらすべてが一瞬に失われたのだから。僕の場合、ただ仲の良い友達を亡くしたとは思えなかった。まるで、自分が死んだかのように、謙の死後、数日間は何も考えることができなかった。何をしても気持ちが入らないし、一人では何もすることができなくなっていた。だから、僕は木津とよく会うようになった。木津といると、謙の死に対する辛さが薄らいでいくような気がした。木津といると、謙の近くにいるような気がして安心するのだ。だが、木津はどうなのだろうか? 余計に、気持ちを高ぶらせているのかもしれない。そう思っていて、木津に会うことは僕のエゴであることはわかっていた。しかし、今の僕にとって、木津は必要だったのだ。

「わからない」
豚マンを頬張ることを止めて、木津は低い声で答えた。そして、再びふくよかな豚マンを頬張り始めた。僕には、『そうか』の一言がやっとだった。他にどんな返し方があるだろう? そして、それは僕の発した質問に対しても、同じだった。そう、木津は僕の質問に対してどのような返事ができるだろうか。わからない。木津もこの言葉を出すのが、きっとやっとだったに違いない。
気まずく、沈んだ空気を取り去ってくれるように、ズボンの右ポケットに詰まっている携帯が震えだした。
「もしもし、古西ですが」
「もしもし、雛形ですけど、今、話せます?」
僕は隣をちらっと見た。石のように黙りこくり、死んだ目の木津。豚マンを頬張ることさえ止めてしまい、スモッグに包まれた新宿の空を放心状態で眺めていた。
「ああ、かまわないよ」
「あの、今、新宿にいます? さっき、見かけたんだけど」
「ああ、いるよ」
「そっちいってもいい?」
「え。ちょっと待って」
僕は木津に了解を取ることにした。木津とて、急に雛形に現れられても困るだろう。もっとも、今の雛形は僕たちと同じ気持ちだろう。なぜ、謙が・・・。そう考えているに違いないし、謙の死に心痛めているに違いない。
「ねえ、木津。これから雛形来るんだけどいい?」
木津はゆっくりと肯いた。果たして、聞いているのかどうか。だが、木津をそんな状態にしたのは、僕の質問だ。僕は再び電話を取り、雛形に新宿中央公園にいることを伝えた。一歩でも早く雛形に来てもらいたかった。木津の冷たい横顔を一人で見ていることもつらかったし、心ここにあらずな木津の横で、僕も感傷的に放心状態になることが恐かった。
やや走り気味に雛形は近づいてきた。僕は挨拶代わりに手を挙げる。
「よう。どうしたの? 木津さん、元気ないね」
「ああ、謙のことがな」
木津の代わりに僕が答える。どのように反応していいのかわからないらしく、雛形はぎこちなく笑った。そして、僕の隣りに腰を下ろした。
「謙は、本当に面白いヤツだったよね」
僕も木津も黙ったままだった。
「そう、それでいて優しいヤツ・・・かな。僕はそう思うけど」
「そうだね、優しかったよね、謙はいつも。無茶な頼みとかしても、ほとんど断らなかったし。何を言っても怒らなかったし」
僕も雛形も木津の言葉に肯いた。確かに、謙はほとんど怒らなかった。謙の怒っているのを僕は一度しか見たことがなかった。
「謙ってさあ、怒ること本当になかったよね。いくら自分のこと言われても、絶対に怒らないの。普通、乞食みたいとか、才能ないねとか言われたら、怒っても不思議じゃないもんね。それでも、謙は怒らなかったよね」
「そうだね」
謙は自分の悪口を言われることが好きなんじゃないかと思われるぐらい、いくら悪口を言われても平気だった。けれど、謙は悪口を言われるのが好きだったわけじゃない。僕の知っている謙は、むしろ悪口を言われることが大嫌いな普通の人間だった。ただ、謙は常に、自分の至らないことを認識していたのだ。だから、いくら悪口を言われても、自分の責任であることがわかっているために怒ったりしないのだ。それは、謙が唯一、僕の前で怒った時にも証明されていた。