恋愛小説「愛はその時生きて・・・」7

恋愛小説「愛はその時生きて・・・」7

懐かしい顔をしている謙の母親。僕には、それをじっと見続けることができるほどの心の強さはない。じっと見続けていれば、きっと僕にも懐かしさが伝染してくるだろう。そして、それは僕を悲しみの崖に追い込むだろう。この部屋では泣きたくない。まだ謙が生きていると信じたいから? それとも、泣くことが供養ではないことを知っているから? 理由はわからないが、とにかくこの部屋で泣きたくない。
「古西君、じゃあ、私は下にいますから」
「はい」
ドアが閉まっても、謙の母親が階段を下りていく音だけは耳に残る。
「さあて、古西。これにあるんでしょ?」
僕は肯いて、パソコンの電源をつけた。ピコンという電子音がなると、パソコンは忙しげに起動を始めた。
「ねえ、これ、学園祭の時の写真だよね?」
雛形が指さしていたのは、一年前の学園祭の時の写真だった。謙が舌を鼻の方に持ち上げて、目を白目にしているふざけた写真だ。よくバカをしていた。そんな時間の1ページだ。
「古西、パスワードって画面に出てるけど?」
「ああ、ゴメン。ボーっとしたよ。パスワードかあ。ん、何だろ?」
パスワードまでは、僕は知らなかった。何だろうと考えていると、木津はキーボードに慣れた手つきで、何か文字を打ち出した。すると、パスワードは簡単に解けたのだ。
「ねえ、木津。なんて入れたの?」
木津は僕の目を避けてパソコンの画面を見ながら、私の名前とつぶやいた。間髪入れずに、僕は納得した。謙の単純な性格からいったら、それが当たるのも当然なことだろう。一番好きな人の名前をパスワードにしているなんて、愛という宗教の信仰者である謙にとっては当たり前のことであろう。
最初に画面に出てきたのは「リオを刈る日」という題の小説だった。僕はこれを読んだことがあった。ブラジルに移り住んだ日系人の生活を書いた作品だ。しかし、ブラジルに行った移民の気持ちなど、海外に行ったこともない謙にはわかるはずがなく、とんでもなく謙に都合の良い設定になっていた。
「これって、すごく無茶苦茶な話だったよね?」
「そう!これ、すごくひどかったよね。なんで、あんな物語書けるかなあ。私には全然わからないよ」
木津にしても、雛形にしても、僕と同じ感想だったのだ。しかし、それでも僕はこの作品を印刷することにした。この作品は、謙が始めて人に見せる気になった作品だと、笑いながら言っていたからだ。あの時の謙はこれまた忘れられない。気恥ずかしい様子で笑いながらも、いつもの余裕たっぷりな感じが滲みでていた。
「えーと、次が『三笠の為に踊ろうよ!』か。これは結構感心したよね」
雛形が指をさして微笑んだ。僕はそれにつられるように笑った。しかし、木津の顔は違った。
「どうしたの、木津?」
「この下にある作品あるでしょ? 『岩間』っていうやつ。これが私と謙が一番最初に会ったときの様子を書いた作品なんだって。謙と私はね、最初、飲み屋であったんだよね。その時、謙は塾の仲間と呑みに来ていて、私はそのグループの隣りの席に座っていたの。そしたら、謙がね、私に話しかけてきたのよ、酔っぱらいながら。その時は、なによ、この酔っぱらい!って思ったんだけどね。それで眉をしかめて、どこかへ行って欲しいような顔をしたのよ。そしたら、謙がなんて言ったか知っている?」
「あらら!なんで、怒った顔をしたの?」
「そうなの、雛形くんが言ったとおり。謙って、女の気持ちがわかっているようで、全然わかっていないんだから。でも、その言い方というか、バカさ加減に笑っちゃったの」
「酔ってたんじゃない? 木津さんも」
フフフと木津は笑った。その顔は、永遠に戻ることのない過去を愛おしむ老人のような懐かしんでいる顔だった。
「木津、それでどうしたの?」
「それで私と謙はなんかいろいろしゃべったよ。その話、聞いてないの、古西君は?」
むろん、僕は聞いていた。謙という男は、少しでも好きになったら、その好きになった女の話をしないと気が済まないのだ。もちろん、木津の時も例外ではなく、木津と謙が最初に会ったときの話は、耳が腐るほど聞かされたものだ。こっちの気も知らないで。
「でね、別れ際に、謙と電話番号交換したの。それからだよ、こうなったの」
「彼らしいねえ」
雛形も以前に、謙から聞かされていたのだろう。うんざりした様子だ。