web小説「願い」1

六色の弾丸と、同時リリースされた作品です。私としては、ずっとこちらの方が好きです。書いていても、読んでみても、ずっと訴えてくるものが強いからです。 ただ、評価は低いです。やっぱり、文章というものは、思った通りには書けないものですね。内容は、主人公の受験生の心の葛藤を中心に、その周りの人間模様を描いていきます。

web小説「願い」1

 横殴りの雨が俺を駐車場の中に誘い込んだ。誰もいないし、雨の音以外は少しもしない。静かだ。今の俺にはもってこいな場所だ。薄手の黒のロングジャケットの内ポケットに手を伸ばしながら、俺はよりかかることのできる柱を探した。ちょうどいい太さの柱が、俺が入ってきた入り口とは反対の方にそびえ立っている。急ぎ足で俺はそこに向かった。  内ポケットで捜索を終えた右手がつかんでいたものは、今の俺がもっとも頼りにしている四角い箱であった。白く塗られていて、英文字が書いている白い紙の箱。その箱の中にこそ、今の俺の最後の希望が詰まっていた。四角の箱から、俺は細長い希望を取り出した。タバコを口にくわえた。  シュボッという音で、タバコにオレンジ色の明かりが灯った。それと同時に、白い煙が音もなく立ち上る。俺はあわてて、その細長い希望を吸い上げた。白い煙が喉を通過し、肺を満たしていくのが容易に想像できる。しかし、火のつけ始めのタバコでは、肺にきつさが降りていかない。だから、俺は急いで、白煙を吐く暇もないほどに煙を吸い込んでいった。何度となく横隔膜は上がり、何度となくその横隔膜は下がった。そして、時とともに次第に、俺の肋骨を白煙が取り巻いていく。  十分も経たないうちに、二本目の希望を取り出し、赤々とした火をつけた。タバコの葉の茶色が赤に侵略されていく様を見ていると、俺はたまらなかった。火がつけば、すぐにくわえられているタバコは白い息を吐いている。そして、俺はその煙を吸い込み、体の中にため込んでいく。どちらが白い気体を多く吐いているのか、まったくわからない。しかし、スタミナの点からいえば、俺の方に分がある。俺の方はほとんど絶え間がない。だが、ヤツには限りがある。七分後には、俺の吐く白いブレスの方が多いことが実証された。  続いて、三本目を指に引っかけた。  というふうに、俺は立て続けに七本ものタバコを吸った。七本目で、俺は止めねばならなかったからだ。なぜなら、もう、白く四角い箱には、今の俺には希望ともいえるタバコが一本もなかったからだ。  タバコの滅失した俺は、雨が激しく降り続いている夜の暖簾をくぐった。俺は駐車場を後にした。さっきまでは濡れることを厭っていた俺が、今は嘘のように濡れることが愉快だった。今では、その烈しい雨が、スポーツを終えた後の爽快な汗にも感じる。それもすべて四角い箱の希望のせいだ。タバコがもみ消してくれたのだ。忘れねばならないこと、つらいこと、そしてすべてを。  ザッザと降り続く雨に流されることもなく、俺は俺のペースで夜の奥沢をのっそりと歩いていた。  翌朝、俺はすこぶる気分が悪かった。胸がものすごくむかつく。理由はよくわかっていた。吸いすぎたタバコのせいだ。緑色の手が真ん中にオブジェとして配置されている陶器の灰皿には、ガリ勉の机の上の消しゴムのカスのように、小さな吸いカスが散らばっている。指先でそのカスを一つ、二つと数えてみる。しかし、その結果の出る前に、俺は気が変わった。朝のあわただしい時間が、俺にそんな余裕を許さないことに気づいたのだ。胸のむかつきを抑え、俺は立ち上がった。そして、洗面所に行くために、俺は斜角45度の階段を一段抜かしで降りていった。  顔を洗い、俺は朝餉の出ているはずの食卓に着いた。白いテーブルクロスがかかっていれば、西洋の食卓のように見えるほどのメニューが並んでいる。黒く焦げ目のついたクロワッサン、極限までによくつめられた黄色いコーヒーポット、水気という化粧の施されている赤いプチトマトが中央にちょこんと載せられている生野菜サラダ。それらはどれも、その美味性を俺に見せびらかし、自慢げにそのうまさを語らっていた。しかし、あいにくと、俺は自慢話には飽き飽きしていた。というふうに言えば聞こえはよいが、実際は胸のむかつきが、食糧の供給を拒んでいたのだ。だから、黄色いポットの自慢話には乗ったが、それ以外の連中の話には乗らなかった。 「尊志。朝御飯はきちんと食べなさい。じゃないと、頭、まわらないわよ。」 キッチンからこちらをにらみつける母親の注意が飛ぶほどに、俺はフォークもスプーンも、そしてクロワッサンへの食指も動かさなかった。そして、いくら注意しても聞き入れずに、糞尿を所定の場所ではなく、部屋の隅でする猫のように、俺は朝食を口に運ぶことをけっしてしなかった。
「尊志、いっきまーす。」
気まずくなった空気を壊すためと、話の方向を逸らすために、わざと素っ頓狂な声を出してみた。
「こら、待ちなさい。食べなさいって。」

「尊志、いってきまーす。」
俺は聞く耳持たずのまま、玄関の戸を開けた。パタンと玄関の戸を閉めた。そして、パジャマ姿の俺は、母親に見つかるとうるさいので、物音を立てないようにして、二階の自分の部屋に戻った。鞄を持っていくことを忘れていたのだ。  もう一度、今度は音を立てずに、俺は玄関の戸を開けた。そして、今度は忘れ物のないことを確認して、家の境界線を出た。右手には鞄を、そして、ズボンのポケットにはテーキと、パリス吉祥寺の財布をしっかりといれ、漆黒のブレザーをビシッと着込み、ノコノコ出ていった。確実に、忘れ物はないはずである。  しかし、世の中というものは、全部が全部、自分一人でわかるようにはなってはいない。高校に着いてから俺は、大事な忘れごとをしていたことを、キジに笑いながら指摘された。俺は田園調布の家からここまでずっと、それに爪垢ほども気づかなかった。満員電車に揺られて、目黒に行くまでも、目黒から高校まで歩いてくる間も、少しも気づかなかった。誰もが、変な目で見ていることにも気づかなかった。
「おい、普通、気づくだろう。そんな縦シマのパジャマの上にブレザー羽織ってくるバカがいるなんて。信じられないよ。一回、死んでこい。」
キジは目に涙を浮かべながら、笑いの合間に告げた。
「・・・・・・・。」
俺は朝の浅いうちから機嫌がよくなかった。  トイレで青の縦シマのパジャマを脱ぎ、鞄にしまい込み、俺はコンビニで買ったばかりの白いティシャツの上に黒のブレザーを着込んだ。金ボタンを前から順番にはめていくその仕草は、自分のバカさ加減に愛想のついた男の仕草だ。  教室に入ると、キジが餌に群がるハイエナのように近寄ってきた。
「着直してきたのか。しかしなあ、こんな奴が俺たちの同級生で、しかも、近東高校始まって以来のIQの持ち主とは。誰も信じないよ。バカと天才は紙一重って言うけど、それって事実以上の真実だな。」

「おい、いい加減にしとけよ。今日は朝からあんまり気分が良くないんだから。」
俺はキジをにらみつけた。
「はいはい、お、宮城さんのお出ましか。」
教卓の前には、宮城さんが出席簿を抱えて立っていた。  しかし、今日も、宮城さんは教師らしくないチンピラのような格好をしている。白いジャケットの下は、黒のサテンのシャツを着込んでいる。ネクタイは黄色ときている。ズボンに至っては、緑色の綿パンを履いている。あれこそ、かっこよさとセンスのなさをはき違えた格好である。近東高校の長渕剛だ。
「起立、礼、着席。」
学級委員の近藤敬子が号令を掛ける。一斉に、人間の頭が下がる。そして、ドタドタッという音を連呼しながら、人が木製のイスに座っていく。
「ああ、今日もすばらしい天気だ。というわけで、今日もすばらしい国語の授業を行う。えーと、近藤、ところで、今日は何日だ?そして、何曜日だ?」

「はい、今日は3月17日の月曜日です。」
ハキハキと、性格の現れている返事で答えた。
「そうだなー、もう、あと受験まで、時間がないよな。時間もない、知識もない、やる気もない、志望校もない。それでは困るぞ。志望校の決まってない者や、やる気のない者が出ないように、今日から個人面談を行う。いいか、これから配る紙に志望校を書いてくれ。もちろん、名前も書くこと。それから、個人面談の希望時間帯を書き込んでおくこと。」
俺の前に、B5の紙が配られてきた。しかし、どうにも、こういうのは苦手である。というのも、大学に行く気はあっても、何かやりたいのか、わからないからだ。それに、大学のことはほとんど知らない。正直に、わからないと書けばいいのだが、それはそれで恥ずかしい。とにかく、まわりの様子を見てから書こうと思い、ためらいがちなシャーペンを紙の近くで待機させた。  右隣の戸下はサラサラッとその志望を書いている。元々から、戸下は医者になるということを決めている。したがって、進学は医大であろう。さらに、その偏差値は校内でも屈指の人間だから、大学は国立一本であろう。それでは、書くのはたやすいはずだ。これでは、何の参考にもならない。  左隣の安田みくは、輪を掛けて参考にならない。彼女は進学の意思がないと、以前、情報局の異名をとる神原水貴から聞いたことがある。神原水貴の情報は信じることができる。ということは、おそらく何にも書かないであろう。ほとんど確認の意味で、その安田みくの紙を横目でちらりと覗いた。しかし、そこにあったのは文字でも何でもなかった。ヘブライ語とも、タランティーノ語とも判じかねない落書きであった。鉛筆で、くしゃくしゃとされているだけである。俺は首を横に傾げた。意味不明である。最近の若い者は何を考えているのかわかったものじゃない。  参考にも何にもならない両隣の進路希望書を見て、俺は真っ白な自分の進路希望書に愕然と倒れた。どこを書こうか。どこの大学がいいんだろうか。だいたい、俺にはその類の情報がいっさいない。もし、山の手線ゲームで、名門大学の名前を挙げよ、などという問題が出されたのならば、一番目か二番目の解答者でない限り、俺は五秒で負けねばならないであろう。それほど、大学への知識が欠乏している。したがって、進路希望書など書けるはずもない。書けるはずがないではないか。開き直った俺は顔を上げて、プイと外をむいたまま、丈の短いブレザーの腕を組んだ。
「おい、古西。どうした?何にも書いてないじゃないか。せめて、名前ぐらい書け。そうしないと、後で呼び出しもできやしない。」