web小説「願い」2

web小説「願い」2

「あ、はい。」
指摘されて、名前と、そして個人面談の日取りをしぶしぶ書き込む。
「ほい、じゃあ、回収。先生が取りに行くから、裏にして伏せておくように。」
宮城さんはせかせかと紙の回収を行う。さっきの言いぐさが気に入らなかったから、足でもひっかけてやろうかと思ってはいたが、宮城さんは裏になって伏せられているみんなの解答用紙の回収を早々に終えた。実にすばやい。  放課後、俺はさっさと帰ろうと身支度をしていた。鞄に入っているパジャマがかさばって、体操着を入れることができないのがシャクだった。
「三年三組、古西尊志君、至急、職員室の宮城まで来るように。」
突然、呼び出しの放送が入った。おそらく、今朝の進路希望の件であろう。
「あらら、古西。お前、呼びだしきたよーん。どうしたのかな?」
キジは何にでもちょっかいを出してくる。はっきり言って、こういう奴にまとわりつかれると、迷惑この上ない。秘密も何もあったもんじゃない。
「ああ、今朝の進路希望の件だろ。」
素っ気なく、そしてなるべく手短に。これが、キジをこれ以上ついてこさせないようにする方法の合い言葉だ。
「・・・・。そうそう、土方がお前のこと、探してたぞ。じゃあな、呼び出しの報告は明日じっくりと聞くから。」
誰がキジに報告なんぞ逐一するものか。胸の中で毒づいた。それにしても、土方はいったい俺に何の用であろう。こっちについては見当がまるでつかない。  職員室の戸を開けると、入り口の所で柳がお茶をくんでいた。勤続二年の柳は駆け出しのため、始終お茶くみをさせられている。これではいい加減なOLと変わらない。そんな柳が哀れに思えていて、俺は柳に同情していた。だから、わざと仰々しく挨拶をした。すると、柳は俺に話しかけてきた。
「ああ、古西君。宮城先生が美術室に来なさいって言ってたわよ。」
俺は一礼をして、お茶くみ柳の前から消えた。  地下にある美術室は、春とはいえないほど寒い。夏はひんやりしていて、昼寝の格好の場なのだが、冬はここでは寒すぎて、心までも凍りついてしまうであろう。さらにこれから文句を言われると思うと、やりきれなかった。
「失礼します。」
俺は美術室のドアを開けて、中を確認せずに挨拶をした。だが、中はガランとしていた。誰もいないのに挨拶するなんて、バカみたいだ。俺はつかつかと中に入り、一番前の机の上に座った。とりあえず、宮城さんの来ることを待つしかない。俺は体をさすりながら、寒さを忍んでいた。  カトッという物音がして、銀のノブがまわり、金網ガラスのはめ込まれたドアが開かれた。安田みくだった。
「あれ、どうしたの。」
言った瞬間、俺は、安田みくも呼び出しをくらったんだなっと直感した。
「宮城先生に呼ばれたのよ、絵のモデルにならないかって。て言うのは、嘘。呼び出しくらっちゃった。」

「俺もだ。」

「え、古西君も。天才中の天才のあなたも。」
IQのことは確かに自分でもすごいと思うが、それと頭がいいのとは関係がない。だから、俺はそのことではやし立てられることがいやだった。特に、学力と頭のいいことを同じことと定義づけている奴なぞ、唾をかけてやりたいぐらいだ。
「あのさあ、IQと天才は関係ないから。」
人差し指を振りかざしながら、俺は安田みくに注意した。
「でも、先生、遅いねー。」

「ああ、遅い。非常に遅い。もし俺が宮城さんの上司なら、彼の首を刎ねるね。彼女だったら、速攻、フルね。人と約束しておいて遅刻する奴は、人間関係で必ずつまずくんだ。そういう確率が高い。」
かしこぶって俺は断言した。断言の声が美術室に響く。安田みくはその強い口調に呆気にとられている。
「・・・・なんて断言できたら、かっこいいよね。」
沈黙の美術室になることを怖れた俺は、ポコッとその勢いをずらした。
「・・・・そう、そうだよね。」
どうやら、安田みくも沈黙の美術室をいやがって避けているようだ。音をとぎらせながらも、必死に何かを言おうとしていた。
「古西君ってさあ、結構キツイところあるよね。今みたいにさあ、人や自分に厳しいところ。そういうところが頭がいいって、みんな思うんだと思うよ。それに少しも浮いた噂ないじゃん。高校ぐらいになって浮いた噂の一つもないなんて、珍しいよ。」
バカにしているようにしか聞こえなかった。だが、自分より下等な人間にいくら言われても腹は立たない。それで俺は、軽くあしらうことにした。
「そうねえ、浮いた噂はないけど。バカ話なら、ここの机分ぐらい、いや足りないな、ここの机だけだと。講堂の折り畳みイスぐらい持ってるけど。」
ボディーブローのようにジワジワと、安田みくの言葉が浸水してきた。確かに浮いた噂がない。俺はこれまで女の子にあまり興味を持たなかったからだ。キジなんかは、やれ、どこそこの女子校の女の子がかわいいとか、エグイとか言っているが、俺はその手のことにほとんど興味がわかなかった。
「好きな女の子いないの、うちの学校に?かわいい子たくさんいるじゃないの?七組の三田さんなんか、モデルみたいに足がスラッとしていて、顔も常盤貴子みたいでかわいいじゃん。古西君、ホモには見えないしなあ。」
ホモの噂だけは勘弁だ。それなら、愚にもつかない女との噂の方がまだマシだ。 しかし、俺にも好きな女がいないわけじゃない。ただ一人いた。五組の平林藍。一週間前から、俺は平林藍に恋をしていた。一週間前、俺が卒業式の在校生代表に選ばれなければ、平林藍とのこんなにも苦しい恋に出会うことはなかったはずだ。ふっと、口の中に、タバコの渇きを覚える。  三月十日。実にありきたりな日に、卒業式を行う高校が多々あるものだ。俺はそう思いながらも、この日、二年生代表として、すなわち、在校生の代表として、送辞を読むことになっていた。俺は、目蒲線の窓の過ぎ去る光景に目をとめていた。  といっても、紙に書いた送辞をただ読むのではない。覚えてきて、あたかもそれをアドリブのようにやれと言われているのだ。最初、その話を聞いたとき、俺は断ろうと思った。しかし、緑川教頭の来年の学費半分出すからという言葉に説き伏せられてしまった。まあ、学費半分浮くことを考えれば、どってことないことだ。その当日を迎えるまで、俺はそう思って多寡をくくっていた。  だが、その当日、それを大勢の三年生のいる前で暗唱することが、ラインバッハの滝から飛び降りるより、勇気のいることであることに気づいた。壇上に上がれば緊張もしよう。汗もドッと噴き出してくるに違いない。もし、シドロモドロになってしまい、三年生の失笑をくったら。しかし、俺は頭を振って、その悪いイメージを断ち切った。心理的に失敗を考えると、失敗は起きやすい。もっと楽観的に考えよう。それが成功の素だ。学校に来る間の電車の中で、俺はたえず自分の声を褒め、きれいに唱えられた送辞の後の盛大な拍手を心に浮き上がらせていた。これぞ、プラスのイメージトレーニングである。  校内に着くと、三年生の教室からは、先生の声だけがうすい木漏れ日のように聞こえてきた。どうやら、三年生は近東高校最後のホームルームを受けているようだ。俺は職員室により、宮城さんから理事長室の鍵を受け取った。理事長室を今日の俺の控え室にしていいということらしい。この好待遇には、体が飛び上がって月を打ち落とすほどうれしかった。  理事長室は、講堂の廊下を挟んですぐ向かいにある。俺は一度も入ったことのない理事長室の様子を想像しながら、そのドアに鍵を差し込んだ。カチリという音がして、鍵がまわる。握りしめたノブを引くと、理事長室という未知の空間が、講堂前の廊下という見知った空間と一つになる。俺はその一瞬を解禁したのだ。  ギガーという古くさい音が、ドアを引くとともに流れてくる。その音に僕は嫌な予感を覚えた。そして、その予感は見事なまでに的中した。理事長室とは名ばかりで、この部屋はほとんど倉庫であった。脚立があったり、画板があったり、果てには机が重ねられて隅に置かれている。そういえば、理事長の存在など聞いたことがない。理事長室が見栄の塊だけで作られたことを直感した。  それでも、部屋の中央に置かれている高そうな茶色の机は革張りの椅子と座る人間さえいれば、場違いなほど立派であった。そこで、俺はせめて座る人になってやろうと思いついた。しかし、椅子がない。しかたなく、その机の上に腰をかけた。座った後で、ほこりを払わないで座ったことに後悔を覚えた。  俺は黒さが光るブレザーを今度はほこりをきちんと払った机の上に置き、Yシャツで原稿を片手に、最終チェックに入った。「本日はお日柄もよく・・・」という名文句が使えそうなほど天気はいい。この点では、天候に恵まれていた。しかし、こんなにもいい天気の日に、二年生の中で俺一人が学校に来て、送辞を読まなくてはいけないという状況としては最悪であった。何もなければ、こんなにも空の青さが目立つ日。きっと、多摩川の上流ででも釣り糸を垂らしては、新聞紙の上に寝そべっていたろうに。孤独な暗唱練習をしながら、俺は心の中でぼやいた。  暗唱は完璧であった。完璧すぎることが怖いぐらいだ。後は極度に緊張して、舌が回らなくなることだけが怖ろしかった。だから、心を落ち着けるために、音もなくまぶたを閉じて、自らが作り出した闇の中に自分を放置した。強い風が窓ガラスを叩いている。  ギガー。ドアの開く音が突然耳に侵入してきた。まぶたのファインダーを開き、侵入してきた音の発生主に目を向けた。
「あの・・・。」
どうやら、うちの学校の生徒らしい。俺と同い年ぐらいの、今まで見たこともない女の子だった。
「ここですよね?面接場?失礼します。わたし、今年は二年で、来年三年生になります、平林 藍と申します。つい四時間ぐらい前に東京に着いたばかりです。父の仕事の関係上、たくさん転校してきました。どうぞ、理事長先生、これからよろしくお願いします。」
ヒョッコと頭を下げた。その勢いに呆気にとられた俺は口を閉じたまま、訂正の言葉を挟むことができなかった。そして、俺もそうであったように、平林藍も、理事長の不在な近東高校の事情を知らないようだった。だから、白いYシャツなぞ着て、赤いネクタイを小気味よくしめている俺を、ここの理事長と勘違いしたのであろう。そうわかった瞬間、俺の中でやんちゃなイタズラ坊主が騒ぎ出した。そうだ、このまま、理事長のフリしてからかってみよう。俺はその案のおかしさに心の中で赤い舌を出した。
「おお、こちらこそ。で、ご出身はどこなのかね?」

「はい、高尾山の山中です。」
微笑を浮かべながら、平林藍は答えた。懸命な顔つきは張りつめたものさえ感じさせた。
「山の中なんですか?」