web小説「願い」3

web小説「願い」3

答えの異様さに聞き直してみる。俺の聞き間違いかと思ったからだ。
「ええ、私、捨て子だったんです。」
そう言うと、顔を両手で覆ってしまった。平林藍の小さな顔を両手は十分に包み込んでいる。泣いているのか。肩が微妙に震えていた。  ギガー。不意にドアが開かれた。俺は尻に火がついているように慌てた。この状況では、第三者が見たら、俺が泣かしたとしか見えない。たとえ、平林藍が否定しても、誰もその否定が正しいとは思うまい。俺の頭は急速な電灯の点滅を引き起こした。
「おーい、どうだ。仲良くやってるのか。」
声の主は宮城さんだった。
「へ、どういうことですか?」
目をパチクリ、パチクリと五度してから裏返った声で宮城さんにたずねた。
「ああ、転校生が入ってきたから、お前に紹介しようと思ってな。先に平林さんに行かせて、俺は用があったから後から来たんだ。ん、どうした。平林。顔なんか、伏せちゃって。」
肩の震えが止まった。小さな顔を覆っていた白い手は、能面を外すように取り除かれた。平林藍の顔には、俺の思ったとおりに、小粒の涙が光っていた。しかし、予想通りだったのはそこまでだった。その顔は以外にも笑っていたのだ。しかも、大爆笑していた。
「だって、先生から古西っていうのは、ここでIQトップだって聞いてたから、どのくらい頭がいいのかなあと思って。それでもって、だましてやろうと企んだのよ。理事長室にいるって言うから、理事長に挨拶に来た転校生のフリをしよう。それで、向こうが乗ってきたら、少しだまされたフリをしてやろう。試してやろうと思ったの。そしたら、古西君って、私の予想通りの展開してくれるから、私、おかしくって。私の手の中で踊ってなさいって感じなんだもの。おっかしー。」
俺は少なからずムカついた。しかし、それ以上に、恥ずかしかった。人前では言わないが、これでも頭脳にかけては、人一倍の自信がある。その頭脳を試され、しかも、その企みに引っかかったのだ。自尊心を傷つけられたことで、モヤモヤとした感情が、死んだクラゲのように浮上してきた。
「先生。この子、失礼です。」

「まあ、そういうな。平林も、悪気があってしたわけじゃないんだから。」
故意でだましたんだから、きっちり悪気はあるだろう。ツッコミたくなった俺に、理性のある俺が急ブレーキをかける。
「で、平林さん。俺から頼みがあるんだけど聞いてくれないか。」

「あ、はい。」 さっきのシャッキリとした少女の返事だ。あの爆笑はどこに行ったの、という様子である。これを、今泣いたカラスがもう笑う、というのであろう。
「古西の送辞を聞いてやってくれないか。こいつ、文章書くのも、読むのもうまいんだぞ。だから、こいつの名誉挽回のためにも聞いてやってくれないか。」
とんでもないことを言いやがる。この女のことだ、きっと笑うに違いない。笑いを取りにいって笑われるのであれば、別に構わないのだが、真面目な文を書いているのだから、それでは笑われたくなかった。
「わかりました、宮城先生。私、聞きます。」
俺は一言もいいとは言っていない。宮城さんは俺の了解など聞かずに事を運んだ。そして、平林藍も俺の意思とは関係なく、宮城さんの指示に従った。
「ちょっと先生。個人的には一人で練習したいんですが。」

「ああん、お前が一人で練習したいだーあ。百年はやい。黙って、送辞を読んで聞かせてやれ。そうじゃないと、当校一のIQの持ち主がこの程度かと思われるだろう。」
確かに、この頭脳をあの程度で軽く見られるのはシャクだった。しかし、宮城さんにうまくのせられているような気がしなくもない。そびえ立つ自尊心と、人の言うままにされたくないという天の邪鬼精神との対立が、胸中のベルサイユ宮殿で戟と矛を交えていた。けれども、宮城さんが理事長室をいそいそと出ていったことにより、これ以上の抵抗はできなくなってしまった。やむなく、俺は残された理事長室の中で、俺と俺のポリシーが生んだ送辞を暗唱した。腹の立つ女、平林藍に聞かせてやった。  聞いている最中、平林藍は目をつぶっていた。笑みなど一つもこぼれていない。真剣な顔つきで、俺の声と、俺のリズムを、そして至高なる俺の気持ちを心に透かせていた。  神妙にも、一度もチャチャを入れずに聞き終えた。俺は平林藍を少し見直した。たいていの女は、どこか途中で言葉を入れる。気になる場所があると、最後まで我慢できずに文句をつける。しかし、目前の平林藍は違った。
「古西君。古西君だよね。あなたって、文章の天才なのかもしれない。論理矛盾もないし、リズム感もある。ユーモアもあるし、静けさもある。それなのに、あなたの気持ちのこもった文章が書ける。すごいことよ、それって。」
聞いている最中は、一度として開かれることのなかった平林藍の白い目は驚きという感情と興奮で満たされていた。目を輝かせながら、俺は、平林藍の俺を褒め称える言葉を待った。
「それに君の読み方、悪く言えば、落ち着きがないけど、抑揚があるから、絶対聞いている人を眠くさせない。そう、退屈させないんだよね。それって、やっぱり、すごいことだよ。さすがって感じだね。ところで、さすがって漢字で書ける?」
俺はさらに感心した。この平林藍という女、褒めるという能力にも優れている。けなすところを一度けなしてから褒めるというのは、弁術の手の一つである。それを無意識に実行している。この平林藍という女、かなりの切れ者だ。
「当たり前だ。さすがって、流れるに石だろ。」
俺の声が弾んでいる。褒められたうれしさと、認められたうれしさは隠しきれないほど大きいものなのだ。
「オオ、書けるね。博学だねー。ところで、古西君って、何組?」

「俺は三組。平林さんは?」

「平林さんじゃないよ。名字で呼ばれるの好きじゃないから。」

「んじゃあ、アーイちゃん。」
軽めな声で、そう俺は呼んでみた。ウカレが理性の俺を隠した。
「うん、それいいねえ。藍ちゃんかあ?かわいいよね、そういうの。私はねえ、五組なの。同じクラスじゃないけど、本当によろしくね。」

「ああ、聞きたいことあったら、ジャンジャンバリバリ聞いてくれよ。おっと、そろそろ、俺は控え室を出て、舞台に行かなきゃな。今日の準主役だからな。それから、下手な送辞を聞いてくれて、ありがとう。」
まだ余裕のある時間を、ない、と言って、この二人だけの場から出ようとした。なぜなら、妙な心がうなっていたからだ。平林藍といると、平林藍に引っ張られるような気がする。ここに長くいたい、そんな気がしてきそうだったからだ。それになんだか二人でいることは、俺には場違いなような気がしたからだ。席を立ったときの、妙に鼓動のある内蔵を俺は心配した。  俺はギガーという音を発して、平林藍の残っている理事長室のドアを完全に閉めたつもりだった。  拍手、拍手。俺の送辞は、平林藍が賞賛したようにすばらしかったようだ。フィーバーした台のパチンコ台のように、耳をつんざくような拍手を受けた。俺は無事大役を終え、そして舞台下の折り畳み椅子に向かった。舞台から降りるとき、俺の視線は講堂の入り口が開いていることをとらえた。そして、その入り口に立っている平林藍の姿をはっきりと確認した。その表情さえも、くっきりと見えた。自分が成功したかのように、喜びを前面に出していた。拍手もしてくれていた。俺にとっては、それが一番うれしい拍手だった。  職員室で、俺は宮城さんを始め、高木先生や佐藤先生にベタ褒めの刑にあっていた。
「いやー、あの最初の出だし。卒業生のみなさま。あの言い方からして、他の奴とは全然違うよな。テレビでいえば、重低音と普通のステレオ音との違いぐらいあるよ。」
例え話の多い国語教師である高木先生は何度も首を振りながら、俺を見ていた。
「それに姿勢が、ピシッと、ビシッとなってて、首がグガッて座っているから、格好もすごく良かった。あれは当校では近来一番の送辞ですなあ。」
片や、擬音での説明の多い佐藤先生の言い方は、土に汚れた手の動作がなければさっぱりわからない。しかし、とにかく褒めちぎっていることはよく伝わってくる。両先生の褒め合いを自分が褒められているかのように、宮城さんは聞いていた。そして、おもむろに、手を俺の肩に乗っけてきた。宮城さんの目は、よくやったというという気持ちをカーボン用紙のように映していた。
「宮城先生、それでは今日は失礼します。」
ドアが開け放たれて、夏初めの蝉のように平林藍がドアのところでその存在を主張した。
「おお、そうか。明日から、しっかり来いよ。そうだ、古西。お前、送ってやれ。今日はお世話になっただろ?」
突然の提案に俺は声が出なかった。
「おい、平林、こいつに送らせるから、そこで少しだけ待ってろ。」

「先生、急にそんなこと言われても。」
平林藍と帰ることはマンザラではなかった。いや、むしろ、うれしかった。だが、俺は強引さに流されることをもっとも厭う。だから、ささやかな抵抗を試みた。しかし、宮城さんは俺の返答には関係なく、俺の鞄を俺の手に握らせて、職員室の入り口まで俺を押していった。そして、俺を平林藍の所へ突っ放した。
「ほれ、お前ら、二人並ぶとちょうどいいカップルじゃないか。いいカップル同士、今日は一緒に帰れ。な。」
俺は正直赤く照れた。そして、それは平林藍も同じだったに違いない。宮城さんにペコリと頭を下げると、プイッと職員室を出て、スタスタと先に一人で廊下を歩いていった。
「ほれ、急いで追っかけろ。トロイやっちゃなあ。」
ボーっと平林藍の歩きっぷりを見ていた俺は、宮城さんのその一言でも我には返れず、抵抗することも忘れて、宮城さんの言葉のまま平林藍の影を追っかけた。二階の階段のところで追いつき、俺は平林藍の右手に並んで歩調を合わせた。
「ねえ、藍ちゃん。どこまでそんなに急ぐの?」

「うん、ここの校門までね。」
そう唱えた唇には、若さの張りが存在していた。クススと笑った顔には、俺を舞い上がらせるのにふさわしいほどの、大きな翼がついていた。この平林藍の顔を見た瞬間、俺の中で熱い感情が芽生えた。この肩を並べている女に対するジグザグな好意。あふれんばかりの熱い情を、俺は両手に持ったのだ。それは今までに感じたことがないものだった。ただ、理を越えた狂った感情であると気づくのに、少しも時間はかからなかった。
「今日、ヒマ?」
校門を出たところあたりで、平林藍が俺に尋ねた。
「うーん、八時までなら。」
俺はその日コンパを予定していた。吉川に、どうしても来いと言われていたのだ。だが、強引な吉川よりも今は、こいつの方が大事である。別に行きたくていくわけではないので、コンパの方を断ろうとそう考え直した。そこで、慌てて前言を撤回しようとした。しかし、平林藍の発砲の方が速かった。
「じゃあ、夕御飯でも食べましょ。私も八時頃には家に帰って、荷物の整理しなくちゃいけないから。」
そう言われれば、平林藍は東京に着いてから、まだ十二時間も経っていないのだ。荷物のひもを解くヒマもなかっただろう。それを考えると、八時ぐらいには別れたほうが、平林藍にとっては好都合であろう。
「おお、夕飯でも食いますか。んじゃあ、君と俺が出会った記念祝賀にでも、パアッと。」

「パアッと?パアッと、おごってくれるの?」

「パアッと、二人のすべてを語るか。マックにでも行って。」

「えー、マックなの。ここの町で、あなたのイチオシの店ってマックなの?」

「いやあ、ちゃうけど。」
財布と相談してのイチオシの店はマックである。悲しいかな、俺の財布には今日の酒代ぐらいしか入っていない。だから、マックが俺にとっては好都合であったのだ。しかし、平林藍の喉にはあきらかに不服の音符が見えていた。そこでとりあえず、いまだ夕暮れ時のオレンジ色した公園にでも行って、ゆっくりと二人で考えようと思い、俺の固定席である仁川公園の豹のベンチに誘った。  二人並んで座る。その様子は端から見たら、きっと恋人同士であろう。そう見られることが、たまらなかった。だから、ジャレアッタリなんかして、もっと恋人同士らしく振る舞いたかった。だが、とても壊れやすいガラスの雰囲気だったから、子供の声の遠ざかる公園におとなしく溶け込んでいた。その代わりに、俺は平林藍の顔をよく見てみた。  整った黒の眉に、涼しい目つきが一見キツサを思わせる。そして、高く、その存在を思う存分に主張している鼻が気品を漂わせている。やや大きめな口は、一つ笑う度に、ピッと左右へと広がる。その躍動が、無邪気な赤ん坊の笑い顔のようにかわいいと、無意識に首を肯かせた。
「ねえ、どこに食べに行くの?」
唇を手でさすりながら、平林藍はたずねた。その唇は少し荒れていた。
「うーん、何食べたいの?藍ちゃんは?」

「・・・。特にないけど。でも、私、女の子だから。一応制服だし。」

「そうだねえ。」
このセリフは曲者だ。女の子だから、変な雰囲気な所はダメよっと、さりげなく釘を差し、その上、制服だから、それ相応の所に連れて行けと言いたいのであろう。俺はそれを回避する言葉が浮かばなかったので、流すという戦法を取った。
「そうねえ、スパゲティーなんか、どう?行きつけのデニーズっていうレストランがあるんだけど。」