web小説「願い」4

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「行きつけのデニーズ?もっとさあ、もっと何かないの。」
不満そうに語尾を強める。俺を責めているように聞こえることが、俺にはたまらなくつらい。悲鳴に似た声で俺は答えた。
「そうねえ、君に合うような高貴なお店はこの辺にはないよ。あ、でも、木下屋っていう精肉屋さんはどう?」

「わかったわ。デニーズね。今度はもっとマシなお店紹介しなさいよね。」
呆れた様子で息を一つついた。でも、その仕草は一つの絵になりそうだ。夕日がオレンジ色に照らす少女の吐息。これ以上の美が存在するであろうか。俺にとっての芸術世界は、今このとき隣にいる彼女、平林藍の存在によってその根底を、グラルングラリと揺るがされていた。
「ねえ、制服、何枚持ってるの?結構な数を転校してきたんでしょ?」

「うん。そう、でも、五枚ぐらいかな。学校によっては、適当な服でもいいっていうところもあったから。だって、私さあ、長くあんまりいないから。」
エクボを作った唇のゆがみが俺の質問に寂しげに答えた。彼女は転校がしたくないのだ。友達と別れることも、そして一つの町に留まることも許されない今の環境がつらいのだろう。それゆえ、その言葉には冬の訪れを悲しがる紅葉の妖精の詠嘆が含まれていたのだろう。その寂しさが俺に届くとき、俺はその寂しさを壊したくなっていた。彼女を悲しがらせるものすべてを壊したくなっていた。そんな俺に、理知な俺は気づいた。
「そうか。んっでも、ここには長くいられるんだろ?」

「うーん、わかんない。でも、わたし、この町にいたいなあ。古西君とも知り合えたし。」
そう言って、白い歯を俺に見せて笑った。その笑いが俺には救いだった。
「さあて、行きますか。ご飯を食べに。」
冷えてきた夕空のせいで、寒そうな平林藍の肩を叩いて、デニーズに行くことを促した。立ち上がった平林藍の肩に、俺は、俺の紺のマフラーを引っかけた。そうすることが、今の俺にできる精一杯の恋の意思表示だった。  その日の夕日が水平線に落ちるとともに、俺のちっぽけな恋心も平林藍に初めて落ちていった。黒いカラスの鳴き声なぞ、聞こえるはずもない。  目の前のグラスは透明で、水という液体以外、何も入っていなかった。氷がすでに溶けてしまっていたのだ。俺は足を四の字に組んでいた。そして、ただ、黙りこくっていた。その日のコンパで、俺はずっと口を閉じたままであった。なぜなら、俺の中では、あの夕日の中の少女を眺めていた俺だけが、出口のない螺旋階段を登り続けていたからだ。出口が見えなくとも、その螺旋階段の行き先が、俺にはどこだかはっきりとしていた。平林藍という女だ。そこだけが億万の救いの光を放っている。そこだけがこの世のものとは思えないほど明るい。  その結果、俺の体はコンパの場所である居酒屋「三笠」にあっても、心はそこにはなかった。いくらかわいい女の子が話しかけてきても、俺の芯は上の空であった。そんな俺の様子を見て、コンパの主催者で、俺を呼んだ赤シャツの吉川が話しかけてきた。
「どうした?お前、何かボーとしたり、ニタニタしたり。ひょっとして、今日の送辞で何か大きな失敗でもしたのか?学校辞めさせられるぐらいの?おい、聞いてんのか?」

「ああ。聞いてるよ。別に、そういうわけではないんだけどね。」

「じゃあ、何だ。さっきから見てると、お前、全然女に興味示してないよなあ。ああ、確かに、それはいつも通りだ。だけど、お前がまったく女に興味を見せなくても、向こうがこっちを好意の目で見ても、お前は興味を引かれないのか。今、お前の前でこないだテレビでやってた映画、何だっけ、うーん。そう、『大統領のクリスマスツリー』だ。あれの話してた娘いただろう?あれ、お前に会いたくって、今日、来たんだぞ。」
俺はぎょっとした。俺にはその娘にこれまで会った記憶がなかった。確認のために、その娘の顔をもう一度見てみた。毛先の茶色がかったショートカット。コーンポタージュのようにクリーム色した素肌。鶴田真由のように厚い唇と、落ち着いた目。そして、形のよい鼻。俺は、これまで一度も見たことがない。これは、神に誓ってもよかった。
「俺、会ったこと、ないよな?あの娘に。」
狼狽した声で、俺はたずねた。
「あるわけないだろ。今日、初めて会うだろ?お前は。」

「じゃあ、何で、俺に会いに来るわけ?俺をまったく知らないわけだろう?」

「まったくというわけじゃない。俺と恵子と香美ちゃんと三人で、十一月の修学旅行の写真を見てたときにさあ、あの娘、香美ちゃんっていうんだけど、香美ちゃんが、お前の写真見て、わーカッコイイって騒いだんだ。それで、恵子がお前と香美ちゃんを会わそうと企んだわけ。」
俺はフーンとも、ハーンともとれる鼻声を出した。
「恵子が言うには、香美ちゃんて何か怖いところがあるんだって。それで、男でもいれば、少しは落ち着くんじゃないかと思ったらしいんだ。それで、俺が恵子に話していたお前像を、恵子が大げさに言ったらしいんだ。そしたら、お前に会いたいって言い始めたから、香美ちゃんは今日、ここの場に来たわけだ。そんだけ向こうがホットな熱上げてるんだから、少しはそれに乗ってやれ。それが、向こうに対する義理立てっていうもんだ。礼儀というものだ。」
腕を組みながら吉川は、眉をひそめて、納得いかないわけがないという表情で熱烈に語っていた。だが、そんな偉そうな命令口調に俺はカチンときた。確かに、吉川のその口の利き方には腹が立った。けれども、言っていることは正しいので、グーの音も出ない。しかし、だから余計に腹が立つ。
「そんなこと言ってもなあ、俺はそういうお前みたいに器用な人間じゃないからなあ。女の子を喜ばすこともうまくないし。それに、俺が相手をするかどうかは、俺の自由だ。」
ムカツイタ顔をして、吉川は俺の前から去っていった。それと入れ替わりに、また香美ちゃんなる女の子が俺の前に来た。
「ねえ、どうしたの?さっきから、ずっとボーとしているけど。何か心配事でもあるの?」
サワーのせいで赤まった顔と、腕の白さが好対称である。だが、その赤い顔が心配そうな表情をしている。吉川から、香美ちゃんの好意を聞いた俺には、俺を心配する表情が真剣きわまりなく見えた。
「いや。特にはないけど。酒の飲み過ぎで少し気持ちが悪いだけだ。」
飲んでもいない酒のせいにした。すると、香美ちゃんは容易にその言葉を信じて、酔い覚ましのおまじないと言いながら、俺のおでこにキスをした。酔っていながらとはいえ、そんな行為が恥ずかしかったらしく、香美ちゃんはソソクサと席を立った。俺も俺で、いきなりのキスが恥ずかしかった。でも、少しうれしかった。男というものはどうしようもないものだとつくづく思う。  その場を切り抜けた。しかし、嘘をついてまで、香美ちゃんを避けたことは苦しかった。それと同時に、今日惚れた女、平林藍に対しても悪いような気がした。別につきあっているわけじゃない。ましてや、今日会ったばかりの相手だ。それなのに、香美ちゃんにキスされたことが、悪いような気がした。嘘をついて香美ちゃんを避けたことへの苦みから、俺の苦しみは平林藍に対する重い罪悪感へと姿を変えていった。  キスをされて悪い気はしない。好意を持たれて、いやな思いはしない。だが、好意をいくら持たれても、キスをされようとも、俺の心にはすでに平林藍が住んでいる。彼女の怒鳴り声、隣から盗み見た笑顔、空気さえも弾ませる勢い。あれもこれも、すべてが俺を、俺を彼女への思慕にむかせていく。そして、香美ちゃんの好意がいっそう、俺によりはっきりと平林藍を、平林藍への気持ちを認識させた。俺はコンパの最中、酒に酔うのでもなく、女の子に酔うのでもなく、ひたすら、平林藍を想う自分に酔っていた。  次の日、朝から、俺は不思議と彼女に会えるような気がしていた。だから、体が浮くように軽かった。平林藍は転校生だから、今日のような二年生だけの登校日には来るはずがないのに、それでも、俺は彼女に会えるような気がしていた。第六感がそう感じさせるのだ。平林藍と俺の波長が合った証拠だと思い込んでいた。  だが、それは俺の独りよがりだった。何時になっても、彼女の顔を見ることはできなかった。昼過ぎ頃になると、次第に、体が純金のように重くなった。彼女に会えないということだけで寂しい。会えないと思うだけでつらい。もし、会えないことを口に出したのならば、そのまま張り裂けそうだ。遠くからだけでも見たかった。すれ違うだけでも、俺は有頂天になれたに違いない。とにかく、彼女のはしゃいだ顔を見たかった。  時計の針が三時を超えた。一人で帰りたかった俺は土手沿いの道をわざわざ選んで、家に向かった。電車にも乗らず、たまには自分の足で家まで歩いてみたくもあったからだ。時折、俺は空を見上げて、ぼんやりと、灰色の重い雲の行き先を探していた。後ろから、誰かが、俺を呼ぶ声がする。キジと同じクラスの中村が駆け寄ってきた。
「よう、古西ちゃん。吉川とお前、ホントーに仲いいのか?俺、お前があれに呼ばれるとは思ってなかったよ。昨日のあのコンパって、吉川の仲間内だけじゃん。お前がそんなに吉川と仲が良かったとは知らなかったよ。」
キジは、遠回しに昨日のコンパの話題に持っていこうとしていた。そして、目尻の下がったキジは女の子の顔や、スタイルなどを執拗に聞きたがっていた。そして、もっとも俺のいやな質問をした。
「お前、気に入った顔の女いたか?」
俺はカチンとくる。そういう女を外見だけで見る、そういう態度の男の発言が一番頭にくるからだ。別に、俺は女性同権主義者ではないが、男の俺が、もし、女に俺の体の詮索などされたらいやだ。自分のいやがることは、決して人にはしない。これが俺のポリシーだ。それに反したキジの言動に、俺は堪忍袋の緒が切れるのだ。
「女を外見で見るなって。この間もそれで説教したろ?女も男も同じだ。自分にとって大切か、大切でないか。基準はそれだけだ。お前は、体とか顔とか外見にこだわりすぎだ。」

「そう怒るなって。キジは女ときたら、肉欲しかないんだから。それに、お前だって、一皮むければ、そうなんじゃないのか。まあもっとも、お前は女にあんまり興味を持たないからなあ。ひょっとして、お前、女嫌いなのか。」
第三者的立場を守りながら中村が俺とキジとの、今にも喧嘩になりそうな雰囲気に水を差した。
「俺は、別に女嫌いなわけじゃない。好きな女だって、いる。」
大きな声で通っている声が段々と小さくなっていく。どうも、俺は女の話が苦手なようだ。
「ほう、いるんかー。古西ちゃん、して、その名は?」

「キジ、お前には言う必要がない。」
そう言いながらも、俺の心の中では平林藍という名詞が、自然と言葉の海から浮かび上がってきた。しかも、光り輝くオーラを発しながら、俺の中で燦然と輝きだした。俺はその輝きのまぶしさに何ともいえない苦しみを覚えた。
「言ってみろよ?強がっているだけじゃないの。」

「絶対に言わない。」

「だから、言ってみろって。世の中っていうものは、不思議なもので、変なところで結びつくようにできているんだから。俺の友達なんか、彼女の他にも、女がいてな。俺の友達は後で知ったんだけど、その女、その彼女の親友だったんだってよ。信じられるか?」

「イヤー、信じられないな。」
中村がうまく言葉を挟んでリズムを出した。これこそ、コントの合いの手だ。
「だろ?だから、言ってみろよ、その女の名前と、どこの馬の骨だかを。言わないと、お前さん、死刑だよ。」
俺は焚き付けられているような気がした。どうしても言わせたいというキジの腹が読める。それだからこそ、なお言いたくない。それもそうだが、俺は口に出すことを怖れていた。口に出すこと、ただそれだけのことで、俺には平林藍に会えないことの苦しみが、青光りする電流が流れるように、体全部を駆けめぐることがわかっていたからだ。さらに、その苦しみに耐えられないこともわかっていたからだ。俺は、嘘という罪を犯してまでも、この苦しみから逃げたかった。
「ああ、見栄だ。」
開き直って、俺は怒鳴った。