web小説「願い」7

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「え、ここ?吉川コーポレーションの病室よ。」

「はい?吉川コーポ、ですか?」
俺は耳を疑った。確か、俺は吉川に階段から突き落とされて、それから、救急車が来ていたような音を聞いたんだが。まさか、吉川のオヤジが経営しているところに連れていかれるとは。
「ええ、吉川コーポレーションです。あなたは確か、幸広さんのお友達でしたよね。えーと、幸広さんを呼びますか。」

「いや、いいです。もう少し、眠らせてもらえませんか。」

「ええ結構ですよ。じゃあ、何か用があったら、そこのブザーを押してくださいね。すぐに行きますから。」
クリーム色の部屋は、また俺一人の占領下になった。そこで、俺は目をつぶり、ぼんやりと、何があったかを思い出そうとした。そして、どうして、俺がここにいるのかの推察をつけようとした。しかし、体がそれを許さず、目をつぶったら最後、眠りにまどろみ始めた。ゴロゴロと目が揺れだし、俺は眠りについた。  起きたときには、さっきの女の人が俺のそばに座って、マネキンの目のように俺を見ていた。目をゆっくりと開け、俺は声を出した。自分が起きたことをアピールしてみた。
「起きたのね。お腹空いてない?」

「ええ、お腹空きました。でも・・・」

「じゃあ、ちょっと待っててね。」
そう言うと、その女は、忙しそうにドアを開けて出ていった。俺は体を起こし、ベットに座った。そして、トイレに行こうと思い、ベットから降りようとした。しかし、体がフラフラとしていて、自由が利かない。さらには、足腰が痛む。壁やベッドにつかまりながら、俺はやっとの思いで、部屋を出ることができた。廊下は一本の長い道だった。トイレは近くにはありそうもなかった。体の自由の利かない俺には、トイレを探しに行くことなどとてもできそうもない。ひとまず、部屋に戻った。いずれ、あの女の人が戻ってきたならば、トイレの場所を聞けばいい。  しかし、なぜ、吉川の病院になぞいるのだろうか。吉川の奴が俺を助けたのであろうか。俺を突き落としておいて、普通、俺を助けるであろうか?そんなわけのわからないことをするはずがあるまい。俺にはなぜここにいるのか、皆目見当がつかなかった。俺は外の雨に目をやり、ロングスカートの女が戻ってくるのをいらだたしげに待った。  いつの間にか、女は戻っていた。ドアの開く感覚がみじんもしなかったのに、女はベットの隣の椅子にちょこんと座っていた。机の上の料理は、温かそうな湯気を立てている。
「さあ、どうぞ。召し上がれ。」
俺はその言葉の言われるままに、メシにありついた。がっつく。がっつく。そんな有様は、女のおかしみという神経を揺すぶったようだ。女はクスッと笑った。口の中一杯にほおばりながら、俺はそんな様子を横目でちらっと見やり、一生懸命になって、湯気の消えぬ間に、その料理すべてを胃の中に納めた。
「どうも、ごちそうさま。」

「いえいえ、どうも。あなたぐらいおいしそうに食べてくれると、こっちとしても作りがいっていうものがあるわ。もっとも、私が作ったんじゃないけどね。」
ニコッと笑いながら、女は照れて見せた。俺はそれにつられて、微笑み返した。まるで、にらめっこのようだ。
「すいません、僕はいつからここにいるんですか?」

「ええ、三日前から。ここに運ばれてきたときは、それはもう、血だまりでしたよ、あなた。足からも腕からも頭からも血を出していて。血みどろっていう状態を初めて見ましたよ。でも、傷もすっかりふさがったようで。良かったですね。」

「あの、誰が、僕を運んできたんですか?」
俺は疑問点として、喉につっかかっているその問いをたずねた。
「ああ、幸広さんと、それに、幸広さんのお友達が二人。後は、そう、あなたのフィアンセ。」
女は淡々と、まるで、暇な主婦のおしゃべりのようにスラスラと話した。だが、俺には一驚させられる答えであった。俺のフィアンセ?果て、誰だろう?俺には、そんな人いたんだろうか?
「あの、僕のフィアンセってどんな人でしたか?」

「は?あなたのフィアンセでしょ。大切な。」

「ええ、まあ。」
曖昧に答えるしかあるまい。ここで、はっきりと、そうではないと否定して、本当にフィアンセがいたらやっかいなことだ。俺はどうやら記憶が混乱しているようだ。
「そう、幸広さんに頼まれているんですけど、あなたが起きたら、呼ぶようにって。呼んでもいいですよね?」

「ええ。」
本来なら、口も聞きたくない。だが、ここになぜ、俺がいるのか。そして、そのフィアンセとは誰なのか?その謎を解くには、吉川と話すしかあるまい。そうケツをまくった。
「じゃあ、呼んできますから。」
そういうと、席を立った。そして、女は食器を持って、部屋を出ていこうとした。俺は部屋を出がけの女に、急いで質問をした。
「あの、すいません、トイレはどこですか?」
廊下の先にあるトイレに入り、俺は放尿しだした。シャーという音とともに、体中に疲れが回った。疲れの中、ゆっくりと尿を出し、そして、水で手を拭いた。顔も水でパシャリパシャリと洗うと、水の冷たさに何とはなしに生命を感じた。水を通して、俺は、今、水に触れている手から体中に、生命の躍動を感じた。鏡の中の疲れた自分を見ても、生きてるんだなという自覚が浮かんでくる。  部屋に帰ると、吉川が首をうなだれて、椅子に座っていた。両手を股に置き、何かに押しつぶされているかのように苦しそうだ。
「吉川。」
俺には名前を呼ぶことしかできなかった。石段から落とされたことの記憶はあるのだが、なぜ落とされたのかという理由が浮かばない。そのせいか、俺には憎悪という感情が沸かなかった。だいたい、その理由を聞くにも、最初からそれを聞くのではなんだか変だ。
「わかってる。悪かった、古西。俺が変だった。」

「ああ、うん。」
吉川は静まり返った海のように動かなかった。俺はそれに飲まれて、なぜ、俺が石段から落とされたのかを聞くことができなかった。二人とも黙ったままだった。そんな重い空気が支配したこのクリーム色の部屋に、いつしか電灯がついていた。外は暗く、そして小雨が絶え間なかった。
「夕飯、持ってきましたけど。」
さっきの女が夕飯を持ってきてくれた。腹は減っていたが、昼間ほど減ってはいなかったので、今度はがっつくことをせずに、普通に食べ始めた。
「そうだ、あたしは、あなたの担当の近藤って言います。私だけが君の名前を知っているなんて、卑怯よね。」
俺は別段そうは思わなかったが、食べながら肯いた。
「ねえ、何で、幸広さんと喧嘩したの?」
首を横に振り、俺にはわからないというアピールをした。スプーンにうまく皿の上のライスが乗らずに、俺は少しイライラしていた。
「そう、わからないの。でも、幸広さんは後悔してたみたいね。すごく元気がなかった。不思議だった。あの人の目に、光がなくなるなんてことがあるんだなあって思ったの。だって、すごいでしょ、あの人の目って。たえず、何かを狙っていますって感じの動物の目じゃない?」
うんうんと肯く。そして、最後に残っていたみそ汁を一息に飲み干した。少し、塩辛かった。
「でも、元気がないのも当たり前よね。あなたを突き飛ばしておいて、元気だったら、それはそれで異常だよ。」

「ええ、まあ。」
これ以上に、吉川の話を聞きたくなかった。あの下を向いて、指をいじって座っていた吉川の姿が浮かんできたからだ。あわれだった。
「あの、それで、僕の方はどうなってるんです?僕のけがの具合とか?」

「けがは、それほどでもないんだけどね。頭を打っているから、それの検査待ちなのよ。明日の午後には、検査の結果が出るわよ。」

「あの、家の方には?」

「それもだいじょうぶ。幸広さんのところに、泊まっているっていうことになっているから。」
それを聞くと、少しは安心した。さすがに、家に何も連絡もなく、三日も外に出ていたら、親は心配するだろう。その親の心配が嫌で、連絡のしていないことが不安だった。
「友達は明日お見舞いに来るって。さっき、幸広さんが私に言付けてくれって言ってた。自分で言えばいいのに。後ろめたいのかしらね。」
俺は聞いていないフリをして、返事をしなかった。外の闇を眺めていた。しかし、友達といっても誰が来るのだろうか。キジなんかが来た日には、イライラで、胃がただれて腐れ落ちてしまいそうだ。  次の朝、俺が起きると、近藤さんはいなかった。だが、机の上にもう朝御飯が並んでいた。海苔に、焼き鮭。それに、ご飯にみそ汁。実に、日本チックで、その香りは、朝御飯を食べる気のしない俺の体に、食べたいという衝動にかからせた。俺は机の上から、お茶碗をパッと取り、箸を動かし始めた。  ご飯を食べ終えた俺に、睡魔がおそってきた。俺にはこのまま寝たら、完全に太ることがわかっていても、その睡魔の侵略には勝つほど強い意志力がなかった。実際、困ったものだ。  ふいに誰かの視線を強く感じた。薄目を開けて、誰だろうと探った。それは何と香美ちゃんだった。なぜ、彼女がここにいるのかはわからなかったが、俺は目を開けようとは思わなかった。
「香美。寝てるの、古西君?」
どうやら、恵子も来ているようだ。
「そうみたい。」

「そう。」
瞬時に、二人は言葉を閉じた。病院のざわめきの中、小さな静けさが目立つ。だが、机からスプーンが落ちて床に着く間もないうちに、低い声で恵子がしゃべりだした。
「あの吉川のバカが、古西君に、こんなことをしなかったらね。でも、アイツには報いを受けてもらうから。あんたには、いいでしょ、これは。」

「そうだけど、古西君に・・・。」

「へーきだって。看護婦さんに聞いたんだから、大丈夫バレない。」
俺に何か隠し事があるのだろうか?バレないって一体なんだろう?やっぱり、謎だらけだ。  また一人誰か入ってきたようだ。
「どうですか、こいつの様態。」
土方の声だ。なぜ、土方がここにいるんだ。どうにも、わからないことばかりだ。
「ええ、頭の検査待ちだって。今日には、結果が出るそうよ。」