web小説「六色の弾丸」2

web小説「六色の弾丸」 第2回

 あのウサギが僕の前に姿を現したのは、僕が大学に入って三ヶ月がたった頃だった。学食で、大学に飽き飽きしていた僕の前に、青いスラッとしたロングスカートを履いたウサギが現れたのだ。そして、僕の隣に座り、僕に話しかけてきたのだ。不思議と、その時の僕らは気があった。僕のだるさという周波が、ウサギのだるさという気まぐれに見事に適合したのであろう。その日を境に、僕らは大学生活を同棲し始めた。いつも一緒だった。つきあおうと言ったことはなかったが、客観的蓋然性から考えると、僕らはつきあっていた。ご飯も授業を出ないのも、バイトも、そして帰り道も一緒だった。

 だが、一ヶ月もすると、僕にはあのウサギが馬鹿に見えて仕方がなくなってしまった。経済観念など少しもなく、金のないことなどがほとんどだった。また、自分のできないことを人にやれと命令したり、自分が遅刻したときなどは平気の平左なのに、僕が遅刻するときは必ず僕を立ち直れなくなるまでに僕のことを非難した。しかし、そんなことはまだよかった。それよりも、あのウサギが馬鹿に見えて仕方がなく、腹が立ってたまらないことは、僕の能力を自分よりも下等と見ていることだった。あのウサギは、僕を自分よりも下の世界の人間と捉えているのだ。直接言われたことはないが、あのウサギの目がそう捉えていることを物語っている。あの視線が僕にすべての自信を喪失させ、僕から僕であることを奪った。だが、今日は違う。僕は僕を取り戻し、今、自信に満ちあふれているのだ。神の訓辞という大義名分を持ち、僕は自信にあふれている。一流と騒がれ、最高の正当性を誇りに生きている。僕を、自分よりも下層の人間と決めつけているあのウサギが憎らしい。

 地下鉄は九段下に着いた。ウサギの失踪場所が、皇居の近くとはふさわしい。地上に上がる最中、僕の頬は自然と上がり続けていた。横切る人、誰一人として、僕が笑っている理由などわからないであろう。こんなに面白いことを知らないなんて。なんて悲しい連中なんだろう。思わず誰かに教えたくなった。

「ねえ、面白いこと教えましょうか。」

僕は隣で一生懸命に階段を上っているOLの肩をたたいて、面白いことを話してあげようと思った。だが、驚きの目で僕を見ているOLは、僕を振りきって、地上まで十段ほどの階段をスタスタと駆け上っていった。跡に残ったOLの香水の香りには、愚かしさという臭いがした。

 かわいそうな奴らだ。本当に面白いことを教えてやろうとしたのに。楽しみから逃げ回っているのだ。面白いことや楽しいことからは逃げ回る必要など、蚊の吸った血液ほどもないではないか。黙って、享受すればいいのに。快楽に眠っている何かを怖がっているのだ。快楽を求めて人間は生きているのに、その代償を怖れて快楽を避けているのではどうしようもない。人間として生きている必要性もなかろう。

 もっとも、昨日までの俺もそうだった。苦難に立ち向かい、楽さから逃げていた。それがかっこよさだと信じていた。でも、違う。人と生まれた以上、人としての本能、欲望を満たそうとしなければなるまい。人としての欲望。それは、快楽を求めることなのだ。それを放棄して生きてはいけないのだ。快楽を避けるという我慢による苦難が必要なのではなく、欲望を満たす事と引き替えに渡される苦難に耐える力こそが必要なのだ。僕は、それを知った。神が知らせてくれたのだ。

 そう思った瞬間、僕は闇空に向かってキスをした。精一杯の感謝を表した。そして、ニヤついた顔に、平静な顔という仮面を意思力でくくりつけ、あのウサギの働いているモスバーガーへ歩き出した。ルーズな記憶を頼りに、黒夜を歩く。カタチのない黒夜。

 店の前で、熊穴から熊の這い出てくるのを待つ猟師のように、僕はウサギが店から出てくるのを待った。もちろん、僕は拳銃に弾を込め終わっている。このピンク色に染まった弾丸も、一刻も早く自由になることを願っているはずだ。僕があのウサギから解放されることを願うように。

 五分。待ち遠しいとき。待つことの楽しみが、僕をせかし続ける。そのうちに、僕の目尻がだんだんと下がってくる。そして、ウサギがあのドアから飛び出してくることだけに集中し出す。救急車のサイレンさえも聞こえない。当然のように、人の声も視線も気にならない。宝の山を前にして目の前の危険を省みない、欲にとりつかれた探検家たちのように、僕は自分の欲望を満たすことで頭がいっぱいだった。

 十分。ウサギの甲高い笑い声が近づいてきた。誰かと一緒のようだ。だが、そんなことは今は関係ない。昨日の僕なら、ウサギが誰かといるときはじっと静かにウサギが一人になる時を待ったであろう。だが、今の僕は欲望という熱にとりつかれた獣だ。鼻をかむ間にも、欲望が体を溶かしていく。だから、ウサギが外に出た瞬間、僕はウサギの前に躍り出た。しかし、ウサギは電話をしているだけだった。僕が視界に入ったときには電話を切っていた。まるで、僕に合わせるように電話を切ったのだ。これぞ、神の思し召し。

「あら、どうしたの。近藤。急にバイト先になんか来て。」

「なんかな。」

「なんかなじゃわかんないでしょ、近藤。今日は疲れているんだから、言いたいことがあるんだったら早く言いなよ。」

「そうね。お宅には言いたいことがあってね。お宅、俺のこと、見下しているでしょ。」

図星を突かれたのか。それとも言い方が感に障ったのか。ウサギは短いしっぽを立てて、怒りのまなざしを僕に向けた。

「何!変なことを急に。急に言う事じゃないでしょ。しかも、バイト先までわざわざ来てまで。あんた、私のこと怒らせたいの?」

フフンと、僕は鼻で笑い飛ばした。お前のその言い方が気にくわないんだよ。でも、そういう眉をしかめて怒った顔ができるのは、あと少しの時間だけなんだよ。しかし、その形相を楽しんでいる内に、面白いことを思いついた。その眉をしかめた顔のままを、永遠に。うーん、いいんじゃないのー。心の中で、僕は叫んだ。

「ちょっと。聞いてんの、あんた。」

どうやら、ウサギも眉をしかめた顔のまま、永遠という時間を過ごしたいらしい。そして、これが神の与えた運命なのであろう。引き金を引いた。

 これまた予想外のことが起きた。ウサギが眉をしかめた顔では死んでいないのだ。驚きで、かわいい目をかっと見開いた状態で横たわっていた。その顔を幾度か撫でたあと、僕のかわいいウサギにフレンチキスをして立ち去った。今頃、この世にはもういないウサギはピンクの弾丸を喜んでおもちゃにしているだろう。あのウサギは、ピンクが大好きだったから。