web小説「僕と智美の最後の冒険」4

web小説「僕と智美の最後の冒険」4

漆黒の海を前にして、僕らは足を止めた。波が来そうで来ないところに、僕らは陣取り、毛布をひいて、ゴロリと横になった。
「お前、夜の海って初めてか?」
僕にとっては、新鮮そのものであった。僕はビールを喉に流しながら、首を縦に降り続け、先輩の次の言葉を待った。
「そうか。いいだろ。男らしいだろう。これが海というものだ。わかるか。」
黙って、僕は暗い海を見た。そして、波の音を聞いた。白い波が腕を組んで向かってくる様子は、仲間が腕を取り合っているような光景にも見える。そして、その組み合った力は、ひとつひとつの小さな波よりも勢いを増していた。白いカーテンがひかれては閉じ、ひかれては閉じ。黙ったまま、僕は打ち返す波の音を聞きながら、波の行き来を眺めていた。
「俺なあ、たまに馬鹿になるんだ。このまま、受からないんじゃないかなって考えたりしてさ。そのたびに、ここに来て、自分を励ますんだ。負けるな、自分に負けるなってね。」
先輩は顔を海に向けたまま、僕に語りだした。
「でな、ここに来ると、自信というか、やる気を取り戻していくんだよな。もう一度、もう一度だけガンバロッテいう感じで。何でだろう。波の強さが俺に勢いをくれるのか、それとも海の広さに自分が感じるものがあるのか。俺にはわかんないけど、とにかく、がんばろうと思わせてくれるんだよ、この海は。」
「先輩もいろいろ大変ですね。」
「あ、いや。でも、それはそれだ。今年で、そんなこと思うのも最後だろうし。」
「え?」
「え?はないだろう。来年は合格すんだよ、俺は。はははは。」
思わず僕らは、顔を見合わせて笑ってしまった。だが、先輩の顔からは妙なほどに悲壮感が隠っているに見えた。合格する自信がないのであろうか。人出のない砂浜の上には、僕のあいそ笑いと先輩の悲しい笑い声が響いている。さざ波の唄と、僕らの笑い声、どちらの方が響いただろうか。

笑いを収めると、僕も先輩も再び黙りだした。だが、先輩は十分もしないうちに、また口を開いた。
「どうだ、最近は。というか、さっきのお前、暗い顔してたぞ。」
「いや、先輩、ちょっとありましてね。」
ここで僕が暗い顔をしていた理由を言ったところで、何も解決はしない。僕はそう思って、智美のことを隠すつもりだった。
「おい、なんだよ。教えろよ、相談に乗るぞ。」
「ええ、でも、大したことじゃないんですよ。」
「そうか・・・。じゃあ、俺の話、聞いてくれないか?」
先輩は前を向いていた顔を、僕に向けた。僕も思わず、先輩の方に顔を向けてしまった。
「話っていっても、俺の考えだけどな。顔、それよりも、どけろよ。見つめ合っているの怖いよ。」
僕もそう思ったので、顔を海の方に向け直した。
「あのな、今度受ける試験が受からなかったら、俺、就職しようと思うんだ。」
「先輩、辞めてしまうんですか。」
僕にとって、驚き以上の何ものでもなかったからだ。大学にいたときから、一番熱心に勉強をしていた先輩が辞めるなどということが考えられなかったからだ。
「いや、勉強は続けるさ。でも、働きながら、一度、自分と司法試験との間に距離を取ってみようと思うんだ。距離を取って、自分にとって、本当に司法試験が大切なものなのかを考えてみようと思うんだ。これまで、がむしゃらにやってきたけど、自分でそういうの考えてみるチャンスだと思うんだ。」
「でも、先輩。」
「わかってる。確かに、そう言って、距離を置いて、結局司法試験の受験を辞めていった人間が多いこともわかってる。でも、そうなったら。そうなっただけの関係だったって、あきらめるさ。俺が司法に対して持っていた熱意というものが、その程度だったことに気づくだけだよ。」
口をポカンと開けたまま、僕は潮風が口の中に入っていくのを感じ続けた。
「それになあ、金もないしな。」
ハッと気づかされた。勉強するのにも、金はかかる。金の問題が先輩をそうさせるのだろう。だが、こればっかりは、僕には口出しができない。僕もお金がない。ただ、同情するばかりで、これには僕は何も力を貸してあげることはできない。
「お金ですか。」
「金はなあ、働かなきゃな。どうしようもない。」
言葉の後ろの方は、声が震えていた。泣いているのか、それとも悔しいのか。自嘲しているのか。そのどれでもないことを願いつつ、僕は先の見えない水平線を眺めていた。
「さあ、今度はお前の番だぞ。」
もう、僕にはハイと言うしかなかった。
「じつは、彼女がパリに留学するって言い出したんですよ。」
「どのくらい?」
「それは聞いていませんが、三年ぐらいは。」
僕は見当で答えた。学校に行って勉強するのだから、それぐらいはかかるだろう。
「そうか、ちょっと長いな。で、お前は行かしたくないのか?」
「いいえ、僕は行ってきてもらいたいです。彼女の夢らしいですから。でも、反面、行かせたくない気持ちもあって。それで、なんか・・・。」
「そういうことか。うん、わかるな、その気持ち。でも、俺は留めるのはいけないことだと思う。だって、彼女の夢なんだろ?でも、お前の気持ちは、それでは収まらない。なら、こう考えろ。俺と同じように距離を置くと考えるんだ。距離を置いて、自分と相手との関係をもう一度見直す時期に来たんだって思え。」
「先輩と同じですか。なるほど。」
「ああ。見直す時期、自分たちの関係が試練に立たされてると思えよ。」
ポカンと開けていた口を真一文字に結んで、僕は顔を引き締めた。確かに、智美との関係を見直す時期だ。智美への自分の気持ちを確かめる時期なのだ。智美がいなくなると思ってからは、智美がいないと淋しいものだと決めつけていたが、実際にそうなるかどうかは体験したことがあるわけではないのだから、わかるはずがない。おそらくは淋しいであろう。それでも、試してみる価値はある。