恋愛小説「ストーカー気分は上々」3

恋愛小説「ストーカー気分は上々」3

「あ、はい、今開けますね。ちょっとだけ待っていて下さいね」
心待ちする。ドアよ、はやく開け。
ドアがキリッと開く。ホンの少しだけ開かれる。ああ、いつも見ていた、あの京子の空間に、とうとう俺は進入するのだ。そう、ピンクの絨毯が弾かれたフローリングの部屋。白い壁紙の貼られた壁には、木村拓哉のポスターが張られている。そして、ブルーのシーツがいつも弾かれている小さいベット。まさに京子の作った、京子の空間に俺は進入するのだ。
だが、もろくもその期待は破れた。ドアはかすかに開いただけだったのだ。そして、京子はそこから顔だけを出した。小さくて、きれいな顔だけを出した。
「すいません。すぐにいらっしゃるかと思っていたら、なかなかいらっしゃらないので、お風呂入っちゃいまして」
「ああ、すいません、入浴中に。仕事が残っていましたので」
そう言われれば、石鹸の匂いがする。ほのかに桃の香りを漂わせている。夕方の澄んだ空気にかがせるなんて、もったいないことだ。
「いえいえ、こちらこそすいません」
「あ、あの、約束通りキャットフード買ってきましたので、どうぞ」
「すいません。ありがとうございます。また今度、あの子のこと見に来て下さいね」
「ええ。では、失礼します」
京子の香りがふっと消える。かすかに開いていたドアも閉じられた。俺は肩を落として、今来た道を戻り始めた。行くのが遅かった俺が悪かったんだから。仕方がない。

午後八時半。俺は一人で夕食を取り始めた。段ボールの食卓に、コンビニでさっき買ってきた冷や奴を載せて、それをおかずに白米にパクついていた。流れる音は、テレビから流れる人の声だけ。静かな、それは静かな夕飯。いつも、そうやって食べてきた夕飯も今日に限っては、一段と静かに感じる。冷や奴とため息だけをおかずに、俺は苦い食事をとっている。
突然、ドアベルが鳴り出した。誰だろう?どうせ、住人のくだらない用事だろう。適当にあしらうか。ヨイショっとかけ声を駆けながら、俺は立ち上がった。ドアを開けると、そこに立っていたのは京子だった。
「あの、先ほどはすいませんでした。ご迷惑をかけたお詫びと言っては何ですが、どうですか、うちに今からいらっしゃいませんか? ワインもありますし」
突然のことに、俺はとっさになんと答えていいのかわからなかった。しかし、断る理由なんてまったくない。
「あの、よろしいんですか? 」
京子は微笑みながら、首を縦にふる。こんなにも簡単に、物事が思い通りに進むとは思ってもみなかった。京子の部屋に行けるのだ。
「じゃあ、行きましょうか。お邪魔させてもらいますね」
俺は靴を履き、玄関の鍵をズボンのポケットから取り出そうとした。しかし、俺は鍵が段ボールで作った食卓の上にあることを思い出した。鍵を取るために、俺は急いで靴を脱ぐ。外で待ってもらっている京子に寒い思いはさせたくない。
と、同時に電話がかかってきた。俺は電話には出るべきではないと、即座に判断した。留守番機能のボタンを押してあるので、急用ならば、そこに用件を吹き込むはずだ。それにだいたい、俺に急用のある人間など、ここのマンションの住人ぐらいだ。京子以外の住人のことなど、今は構っているヒマはない。俺は電話を無視して、ドアの外で待っている京子のところへ。

誰もいなくなった部屋の中では、留守番電話が応対を始めていた。
「はい、木村です。ただいま、電話に出られません。ご用の方はメッセージをどうぞ」
ピーという電子音が狭い部屋の中をこだまする。
「もしもし、港探偵社の大塚だ。木村。気をつけろ。最後に、お前が受け持った仕事で南青山の事務所の情報収集があったろう。その仕事で、お前が情報を買った相手がいるだろう? そいつがなあ、情報をばらしたことがもとで、会社をクビになって、逆恨みでお前をつけ狙っているらしい。くれぐれも気をつけろよ」
留守番電話は、電話の用件を誰もいない部屋に伝えた。そして、再び黙り込んだ。次に誰かから電話がかかってくるまで。

エレベーター待ちをしている京子の後ろ姿。後ろ姿の京子も最高だ。リズムよく整えられたウエーブがかかった髪は、俺の目を引きつけるのに十分すぎるほど十分だった。見ているだけでも、ため息が出そうになる。