青春小説「怖くて飛べない!」10

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青春小説「怖くて飛べない!」10

病室に戻ると、そこには町田と恵理香がいた。ベットの上に、2人とも仲良く並んで座っている。

「邪魔しちゃ悪かったかな?」

わざと軽い声で話しかけた。

「いやいや、安藤を待っていたんだよ。大事な話があるんだ」

町田はピリッと締まった表情で僕の方を見上げた。だが、町田はためらいがちに恵理香の方に顔を向け直した。そしてなにやら恵理香とうなずきあってから、重たげな口を開いた。

「あのな、俺、転勤になったんだ。大阪だってさ。まあ、本社がそっちだから栄転みたいなものだけどな。それでな、ひとりで行くのもどうかなと思って、恵理香を誘ったんだ。それで恵理香と一緒に行くことになったんだ」

「そう、それで」

「あの、それで」

町田はそれ以上なかなか切り出そうとしなかった。業を煮やした恵理香は町田をにらみつけてから僕に言った。

「結婚するの。私と町田。それで、その結婚式に出て欲しいんだけど」

「わかった。それでいつなの、式は?」

僕は素っ気なく答えた。冷静さを装うためだ。僕ははっきりと自分が動揺していることを知っていたのだ。

「来週の日曜日に平安閣で」

「それまでに僕は退院できているのかな? 町田恵理香様?」

おちゃらけた様子で、僕は。

「できるよ。さっき、米原先生から聞かなかった?」

少しイラついた返事だった。恵理香は何かに腹を立てている。

「ああ、そうだったな。忘れていたよ。ああ、おめでとう。言い忘れてたね」

気取った言い方でしか答えられなかった。それしか、僕に僕を取り戻させる方法がなかったのだ。

松葉杖をついてベッドの近くまで行った。そして、丁寧に松葉杖を立てかけると、僕はベットに入った。シーツの乱れなんて関係なかった。寝にくくても良かった。とにかく、動揺している自分を平静にさせることができればどうでもいい。

「しかし、おめでとうな。よかったじゃん!」

「ううん、安藤がこんな状態の時に結婚式を挙げるのはどうかと思ったんだけどな、急な転勤命令でな。すまんな」

「いや、気にするな、町田。それよりもな、ふくれっ面の町田恵理香君の方に気を使ってやってくれ」

口を回すことで精一杯だったのかも知れない。声が枯れていく。僕には、これ以上声が出せないかも知れない。

「わるいけど、検診で疲れたよ。眠らせてもらおうかな」

「あ、ごめん」

町田も恵理香も声を揃えて、同じセリフ。吹き出すしかなかった。これだけ息のあった様子を見せられては笑うしかなかった。胸がどんなに痛くても笑わずにはいられない。どんなに痛くても関係ないときがあるのだ。

結婚か。ベットの上を結婚という言葉が煙のように浮かんでいる。僕はひとりになった。町田も恵理香も2人になったのに、僕はひとりになった。本当に恵理香を必要だと気付いたときに、僕は恵理香を失ったのだ。失ってはいけないものを失ったような気がする。そう思うならば、取り返せばいいじゃないか。心の声が叫ぶ。けれど、それが確率のないことだとわかっていた。金もない、仕事もない。体は不自由。さらに、恵理香には、僕の親友である町田が婚約者として存在する。そんな”ない”づくしの僕が町田から恵理香を取り戻せるはずはない。それに、僕と恵理香は友達の時間が長すぎた。友達という壁も大きい。もっとも、1番大きいことは、僕には、恵理香を幸せにする自信がないのだ。彼女の心を癒しきれるか。僕にそれができるのか。

果てしなく、自問自答は続いた。しかも、答えの出尽くした自問自答が続くのだ。1人乗りの宇宙船に乗せられて、宇宙をさまよっているようだ。行けども行けども暗闇だ。頭ではわかっていても体ではわからない。こういう問題は悩むこと自体辛い。理性では答えがでても、感情として納得がいかないから自問自答が続くのだ。結局、人間は感情にいっぱい喰わされる。これほどまでに、自分をコントロールすることに悩んだことはなかった。こんなにも感情とは抑えることのできないものなのか。一体、僕はこれまで何のために修行をしてきたのだろう。板前としての技術しか学んでこなかったのだろうか。精神は学んでこなかったのか。

枕に何度も拳を振り上げた。悔しくなっていたのだ。自分の修行の無価値さを思うと。恵理香を守れない状態になった自分を思うと。そして、セルフコントロールしきれない自分を憎んだのだ。

「おいおい、ほこりが立つだろう。止めろよ」

土方の声だ。いつのまにか、病室に入り、土方は腕を組んで見ていたようだ。

「どうした? 何かあったのか」

黒いサテン生地のシャツに、ワインレッドのネクタイが揺れている。

「何でもないよ。ただ、自分の修行に何の意味が合ったのかなって思ってな」

「どうして?」

土方はゆっくりとした口調で問いかけてきた。

「ん、どうしてかって? こんな腕にはなるわ、こうやって自分の感情はコントロールできないわ」

枕をさらに殴り続ける。鈍い音が絶え間ない。

「技術を学ぶことだけに、必死になっていたんだと思うとな。無性に腹が立つんだよ、そんな自分が」

なおも枕を殴り続ける。自棄になっていたのだ。病室の中で聞こえる音は、僕が枕を殴る鈍い音だけだった。

「それは違う」