青春小説「怖くて飛べない!」12

青春小説「怖くて飛べない!」12

土方が2時間前に残した言葉は、まだ僕の後ろの方で騒いでいる。僕という湖面に土方の投げた石は大きな波紋を残したようだ。未来は誰にもわからない。土方の言うとおりだった。全ての僕の事情を知っている僕にも、もちろん、他の誰にも未来はわからない。

けれど、未来は現在の行動に基づいて決まる。現在の行動によって、未来は決まるんじゃないか。僕の胸からはそんな声が上がる。しかし、背中の方では、今する行動が未来に何を及ぼすかが全部わかるはずはないじゃないかと叫ぶ声が聞こえる。2つの声に、僕はどうすればいいのだろう。今までの僕を表している胸の声と、今まで抑え続けてきた僕を表している背中の声。僕の中で、2つの声が今までになく競い始めている。

気づいたが、今の僕は今までになく熱い。その証拠に、胸を消火しようと目から水が勢いよく流れている。鼻からも。顔中水浸しだった。

階段の前で、息が上がった。あと少しだ。僕は自分を励ましながら、教会を見上げた。両肩を上下に揺らす僕の目に入ったものは、夕日のもたらす朱色が混じった金色の十字架だった。

教会の中に飛び込むと、視界にモノクロの人々が映った。集まってくる視線を無視して、僕は式壇を見つめた。まだ始まっていないようだ。式壇には誰もいない。荒い息を整えながら、僕は新婦の衣装部屋を探した。しかし、まるで見当がつかない。クソッ。息を飲み込みながら、小さな言葉を吐く。とにかく、ひとつひとつドアを当たってみるしかない。まずは入り口から右手にあるドアだ。ノックをしてから、僕はドアノブを回した。

しかし、そこは懺悔室で誰もいなかった。僕は扉を勢いよく閉めると、入り口から左手の方にあるドアを目指して急いだ。その途中、僕を呼び止める声がした。

「安藤さん。来てくださったんですか?」

微笑み止まない恵理香の母親だった。昔とはまるで違った様子だ。

「あの、恵理香さんは?」

「恵理香は今衣装室にいますよ。先に会いますか?」

1も2もなく、僕は頷いた。

恵理香の母親に教えられた通り、目の前には、新婦用衣装室と書かれたドアがある。目をつぶりながらドアをノックした。

「はい、どうぞ」

恵理香だ。

「安藤だけど、ウェディングドレス、新郎よりも先に見ても良いかな?」

「いいよ、安藤なら」

恵理香の揺れた声が届いた。届いた瞬間には、僕はドアノブを回していた。もう、引き返すことはできない。後悔することにならないよう、肺がパンパンになるほど息を詰めた。

「恵理香ちゃん。わぉー、キレイだね。もう、これ以上にないってほど美しい姿になっちゃって」

部屋に入るなり、僕は違和感を感じた。香水のにおいが鼻を刺し、僕の歩みを止める。そして、おごそかな、進むことを拒むような空気が僕を包んだのだ。白いウェディングドレスの持つ魔力かも知れない。おかげで、この第1声だ。

「安藤、来てくれたんだね。ありがとう、お世辞もね」

化粧鏡の前にちょこんと座った恵理香は笑いながら答えてくれた。僕もつられて笑う。

「来てくれたのは嬉しいけど、もう少し整った格好で来て欲しかったな。ヨレヨレだよ、スーツ。どうせイッチョウロでしょ? もう少しちゃんとしておかないとダメだよ」

言われてみると、僕のスーツはシワだらけだった。

「あ、ゴメンゴメン」

「ううん、でも、本当によく来てくれたね。今日だったんでしょ? 退院。バカなことして延ばしたんだもんね。枕なんか殴ってさ。普通、骨折が治ったばっかりの人がすることじゃないよね」

「んまあね、君たちの結婚式に出るのを迷っていたからね」

僕は後ろ髪を触った。後ろ髪を何度も何度も撫でた。

「なんで? ケガが治っていないの?」

「いや、そういうわけじゃないさ。言いたいことがあったんだけど、全部言っていないことに気付いたからだよ」

「言いたいこと?」

そう。言いたいことをまだ言ってなかった。恵理香に伝えたいことがあったんだけど、今までは伝えられなかったんだ。

「僕はここまで急いできた。少しでも早くここに着いて、恵理香と話をしたかったからね。でも、道は混んでるし。神様の妨害だよ、全く。おかげで、走ったよ、途中から。久しぶりに走らせてもらいました」

そんなのしゃべっても仕方がない。いつの間にか、握り拳を作っていた。

「それで何を言いたかったのかって言うとね。僕にとって、君はすごく必要な人だったってことだよ」

心臓がドクンと踊った。それでも、なるべく感情的にならないように、ひとつひとつ僕は言葉を選びながら話した。声がうわずらないようにも配慮した。もちろん、恵理香の表情にも気を配った。恵理香への裏切りとならぬように。町田への裏切りにならぬように。そして、自分を偽らぬように。

「なんだかんだ言って、僕と恵理香はいつも一緒にいただろ? 考えてみたんだ。これほどまでに一緒にいてくれる君のことを。君は僕のことをわかろうとしてくれたし、今でもそうだ。僕を大切に思ってくれる。そして気づいたんだ。今、この世界で、僕は僕ひとりしかいない。同じように君は君しかいない。僕にとって、いつも一緒にいてくれた人はひとりなんだ。恵理香だけなんだ。僕には恵理香が必要なんだよ。誰よりも何よりも。僕を活かしてくれるのは恵理香だけなんだよ」

僕は1息で告白した。たった1回の呼吸だが、その間がとてつもなく長く感じられた。だが、これで僕の言いたいことは終わらない。もうひと呼吸は必要だ。