卒業・青春小説「怖くて飛べない!」13

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卒業・青春小説「怖くて飛べない!」13

「それで何を言いたかったのかって言うとね。僕にとって、君はすごく必要な人だったってことだよ」

心臓がドクンと踊った。それでも、なるべく感情的にならないように、ひとつひとつ僕は言葉を選びながら話した。声がうわずらないようにも配慮した。もちろん、恵理香の表情にも気を配った。恵理香への裏切りとならぬように。町田への裏切りにならぬように。そして、自分を偽らぬように。

「なんだかんだ言って、僕と恵理香はいつも一緒にいただろ? 考えてみたんだ。これほどまでに一緒にいてくれる君のことを。君は僕のことをわかろうとしてくれたし、今でもそうだ。僕を大切に思ってくれる。そして気づいたんだ。今、この世界で、僕は僕ひとりしかいない。同じように君は君しかいない。僕にとって、いつも一緒にいてくれた人はひとりなんだ。恵理香だけなんだ。僕には恵理香が必要なんだよ。誰よりも何よりも。僕を活かしてくれるのは恵理香だけなんだよ」

僕は1息で告白した。たった1回の呼吸だが、その間がとてつもなく長く感じられた。だが、これで僕の言いたいことは終わらない。もうひと呼吸は必要だ。

「でも、ここで僕は君を奪う気はない。あんな告白しておいて卑怯に聞こえるかも知れないけど、僕には君を町田から奪うことはできない。自信がないんだ。これから先どうなるかわからなくって、恵理香を幸福にできる自信がないんだよ。それが怖くて言えなかったんだ。怖すぎて、恵理香が大事だってことが言えなかった。今でも怖いよ。だから、恵理香が僕よりも恵理香を幸せにできる町田と結婚することを邪魔することはできない。でも、言いたかったんだ。僕が恵理香を求めていたことを。この間気づいたんだけど、未来は誰にもわかりやしないんだって。だから、未来を怖がってちゃいけないって。今を精一杯生きるしかないんだって。だから、僕は今を、恵理香を求めている今を大事にするために恵理香に言っておきたかったんだ。でも、奪う気はない。町田は良い奴だ。幸せになって欲しいんだ」

裏返って、高くなった僕の声が響いた。その声と同時に僕の想いが届いていたら、僕にはもう言いたいことはなかった。これ以上何も言うことはない。

恵理香は黙ったままだった。だが、意を決したように僕の顔を真っ正面に捉えた。

「安藤。話してくれて、ありがとう。すごく嬉しい。嬉しいから、私は幸せになるよ。だから、安藤も自信を持って。私に自信を持たしてくれたじゃない。あきらめないで今を頑張ってよ。私たちはちょっと離れちゃうけど、これから先だって、私たちの関係は続くんだよ。ずっとね」

イスから立ち上がって、恵理香は僕の手を取った。白い手袋をはめたあたたかい手が、僕の手をぎゅっと握ったのだ。熱くなっていた心がだんだんと冷めていく。次第に、僕の心はあたたかくなっていた。熱すぎず、冷めすぎず。適温になっていた。

「これで、このまま恵理香を連れて逃げたら、映画の”卒業”みたいで格好いいんだけどな。臆病者には…」

照れ笑いの中、僕は痛感した。恵理香を連れていけるなら、そうするさ。けれど、告白をした今となっては、1日でも早く恵理香から卒業したい。そうしないと、この蘇った魂が僕を許してくれない。

僕は式場を後にした。2人の幸せな様子を見られるほど、自分の気持ちに整理がついているわけではない。まだまだ、僕は辛かった。痛かった。まるで追い打ちをかけるように春一番が僕の目にぶつかってきた。すると、僕の目には涙がたまっていく。ゴミが入ったせいだろう。風で飛ばされたゴミが僕の目に飛び込んできたせいだろう。天気雨が降ったのか、ところどころ地面が濡れていた。車の走る音が聞こえないほど風は強く、僕は風の音を耳にするばかりだった。

退院後、僕はやはり天下屋から追放された。一流ではないという烙印を押され、腕の自由を奪われたた今、僕は料理界から去らねばならない。それでも、食べていくためには働かねばならない。僕はとりあえず居酒屋で働くことにした。ここから新しい出発をしようと思った。

居酒屋で働き初めて1月が経った。居酒屋での仕事を覚えるのに一生懸命で、自分がケガをしていたことを忘れるほどだった。それでも、料理と恵理香のことは片時も忘れなかった。床掃除をする手を休め、モップに寄りかかりながらも料理のことばかり考えている自分。寒さに震えながらゴミ出しに行くと、夜空に浮かぶ恵理香を思い出している自分。

そんな頃、土方から連絡が入った。まだしていなかった僕の退院祝いをしようと持ちかけてきたのだ。もちろん、僕の返事はOKだ。もっとも、居酒屋でのいちばん最初の休みを土方と過ごすことになったのが、僕にとってシャクではあった。

『赤船』は久しぶりだった。

「こんにちわ。土方います?」

「いらっしゃい。坊ちゃんは来てないよ、まだ」

カウンターの先にいる高杉さんは、表情を変えずに答えた。

「んじゃあ、先に何か食べようかな? アイツと付き合っていると、酒浸りになるからね。今日は何が良いんですか?」

「そうね。今日はイカが良かったから、イカ刺しかな。イカ飯もあるけど、どっちがいい?」

僕は迷わず、両方と答えた。赤船の料理に間違いはないだろう。

「安藤さん、天下屋出されたんだって。落ち込まないようにね。あそこはもう料理を商品としてしか考えていないからさ。むしろ、そんなところから出ることができて良かったじゃないかな」

視線を動かしている手の方に落としたまま、高杉さんは僕をねぎらってくれた。高杉さんは、土方がオヤジと呼んでいるほどの人だ。さすがにあたたかい。

「どうも。さすがに高杉さん」

謙虚に手を振る。しかし、次の瞬間から高杉さんは不敵な笑みを浮かべていた。そして、僕の前へ左手にイカ刺しと右手にイカ飯を並べる。イカ刺しは透明で、皿の模様が見えるほどだった。

「さすがに高杉さんだね。新鮮なイカを選んできますよね。すごいっすよ。この鮮度」

「安藤さん、まあ、食べてやって下さい」

手ぬぐいで手を拭き終えると、食べることを催促するかのように僕の方をじっと見つめていた。高杉さんはさっきと同じように不敵な笑みを浮かべている。