卒業・青春小説「怖くて飛べない!」15

卒業・青春小説「怖くて飛べない!」15

すると、奥から高杉さんが出てきて、冷蔵庫を開ける。中で鳴っている携帯電話を取り出した。

「もしもし」

高杉さんは土方の方を見て、ニヤッと笑った。

「悪かったな。ちょっとお前さんを試させてもらった。安藤の料理に対する気持ちを確かめたかったんだ。オヤジにも協力してもらって、ちょっと大がかりだったけどな。実はな」

土方はイスから乗り出してきた。

「実はな、今度、出張料理人の仕事をしようと思うんだ。それでぜひ、お前に手伝って欲しいんだ。お前の食材を見抜く目や色彩感覚。腕が使えなくとも、十二分に役立つ。実は、俺もさ、お前と同じように天下屋追放されちゃってさ。でも、料理を辞める気はさらさらないんでね。天下屋に反乱ののろしを上げようと思うわけだ。オヤジも首を縦に振っているし、どうだ? 安藤」

僕はあまりにも急な展開に驚いていた。どうしたらいいのだろう。いや、どうしたらいいのかを考える時間よりも、それよりもまず、僕にはこの情況の整理に時間が欲しかった。僕は黙ったまま土方を見るだけだ。

「安藤、男に2言はないよな? さっき、主義があえば、この仕事に戻るって言ったよな。親父の前でも、俺の前でも。先輩や友達に嘘をついたんじゃないよな」

土方に人のことが言えるだろうか。僕の方が先に試されたんだから。

「なあ頼むよ。安藤」

「安藤さん、坊ちゃんの力になって下さいよ。安藤さんだって、料理界に戻りたいんでしょう?」

土方、高杉さん。交互に僕に迫ってきた。

「2人とも。少し考える時間を下さいよ。どうしたらいいのか? 考えるから」

土方に僕の人生を託すことは怖かった。いくら土方でも、僕の面倒を最後までは見られないだろう。けれど、それだけではない。僕自身、左の小指なしで料理界を渡っていけるかが怖かったのだ。天下屋を敵にまわして、料理界に生き残っていけるのだろうか。不安を感じざるを得ない。

「わかった。じゃあ、少しここで考えていろ。1人にさせてやるから。オヤジ、構わないだろ?」

土方はややふくれっ面で高杉さんにかみついた。高杉さんは、やれやれという顔をしているが、土方の意見に従う気らしい。

「じゃあ、俺とオヤジは奥にいるから。決まったら呼んでくれよ」

「わかった」

「ただし、料理に対する気持ちのこと、自分で忘れるなよ」

そういい捨てると、土方は奥の方に消えていった。続いて、高杉さんも奥の方へ行ってしまった。残ったのは、僕とイカ飯ひとつだけだった。

だが、僕はすぐに2人を呼び戻した。そして、土方に仕事を受けると答えた。僕は気

づいたのだ。正しくいえば、思い出したのだ。恵理香の言葉を。

昼過ぎだか、僕は眠っていた。居酒屋の仕事をやるようになってから、僕の眠る時間帯は昼になっていたからだ。大都市東京を春一番の残党が吹き荒れている日。僕は外の強い風の音のせいでなかなか寝付けず、何度も繰り返し繰り返し寝返りを打っていた。だが、とうとうカンシャクを起こして、布団の上に座り込んだ。眠ることをあきらめた。頭をカキカキ、ぼんやりとする。何時だろうと思い、とりあえず携帯電話の電源を入れた。デジタルの数字は12だった。まだ寝ていられる時間だ。寝ようかとも思ったが、のどが渇いていたので水を飲むことにした。色のぼけた冷蔵庫を開け、六甲のおいしい水を取り出す。流しにある水滴の付いたコップを手に取り、僕は勢いよく水を注いだ。コップに口をつけて、水を喉に流し込んだ。喉で水を飲むと、喉の乾燥がとれて気持ちがいい。六甲のおいしい水を片づけようと思い、冷蔵庫の方にむき直す。

すると、冷蔵庫に貼ってあるカレンダーが目についた。思えば、今日は恵理香が大阪に行く日だった。

「出発か」

僕は見送りに行かないことを決めていた。恵理香には見送りに行かないことを告げてはいなかった。だが、僕が来ないことぐらい恵理香も予想していただろう。教会で花嫁に向かって告白した男が見送りになど行けるはずがない。だいたい、まともに恵理香の顔を見られる自信がない。

しかし、恵理香とも当分お別れだ。結婚もしたし、旦那について大阪には行くし。恵理香にとっては良いことずくめなのだ。そう思うと、気が楽になってきた。見送りに行かないという僕の判断に間違いはなかっただろう。きっと。

「タンタッタターン、タンタッタターン」

僕は鼻歌混じりに結婚式の入場曲を歌う。なんだかひどく不思議な気持ちだった。

その時、藤井ふみやの”TURE LOVE”が鳴りだした。携帯電話の着信音だ。流しにコップを置くと、僕は電話を取った。

「もしもし」

「安藤? 今どこにいるの?」

恵理香からだった。僕が見送りに来ると思っていたようだ。恵理香の声は純粋で、優しかった。純粋に僕に見送りに来て欲しかったようだ。