将来を考える若者小説「怖くて飛べない!」3

将来を考える若者小説「怖くて飛べない!」3

ジュースを飲むために、恵理香は視線を落とした。僕には、恵理香の顔が見えないことが怖ろしかった。泣いていたり、悲しそうな顔をしていたらと思うと、僕はいたたまれない気持ちになる。できればジュースを飲むことを止めて、顔を上げて欲しかった。

「私は何に向いているかなあ?」

「じゃあ、何が好き?」

恵理香は顔を上げた。髪をいじりながら、何かを考え始めたようだ。表情が崩れていなかったことに僕はホッとした。

「うーん、料理作るの好きだし。板前さんになろうかな? 私も」

「え?」

「じょーだん。きついんでしょ、修行が。私はそういうキツイ目に遭いたくないの。マゾじゃないんだからさ。あ、だからって、あなたがマゾだと言っているわけじゃないよ。誤解しないようにね」

少々キツイジョークだなと思ったが、このぐらいのことを言わないとやっていけないのだろう。

「じゃあ、お嫁さんにでもなれば?」

軽い気持ちで言ったつもりだった。だが、恵理香は軽い気持ちでは受け取らなかった。突如、恵理香は乗り出してきた。

「そう。私も今そう思っていたところなんだ。お金持ちの家に嫁いで、ゆっくりとしたいなーっていう気分なの。ねえ、誰か、お金持ちの知り合いとかいない?」

話の流れとはいえ、あまりに出来過ぎている。そう思わざるを得ない。だが、お金で苦労している恵理香のことを考えると、今の恵理香の発言も当然なことのように思えた。今こそ、本題を切り出すチャンスだ。今言わなければ、今日呼び出した意味を無くす。そう思い、僕は軽い感じで舌を滑らした。

「ああ、いるよ。町田っていうヤツ。昔付き合っていた彼女の友達なんだけどさあ、すごくいいヤツでね。女の子の方とは別れたんだけど、町田とは別れづらくなっちゃってね。それで、今でも連絡とったりしているんだ。そいつの家は田園調布だからさ、お金もあるし。いいところの坊ちゃんって感じだけどね」

「本当?」

「ああ、本当だよ」

「ねえ、今度紹介してよ。ね、いいでしょ?」

この瞬間、頭の中を何かが横切った。黒くて素早い何かが、頭の中を一瞬で駆け抜けた。それが何であるかと考える間もなく、僕はもちろんと答えた。

今考えてみると、この承諾が教会へのスタートラインだったのだ。このたったひとつの承諾が僕を走らせ始めたのだ。左腕を痛め、繊細な包丁さばきのできなくなった僕を、煮えたぎる情欲のままに走らせるきっかけとなったのだ。

僕は町田と恵理香を会わすことにした。町田の方は1も2もなく返事をした。町田はいわゆるプレイボーイタイプの男ではなく、むしろその日その日を適当に過ごすタイプの男だった。誰か遊び相手がいてくれればいい。特定の彼女を作ることなく、むしろ男友達とブラブラしていることを好んだ。だが、周りの男友達が彼女を作ってしまったことで、自分も欲しくなっていたのだ。町田はよく僕に愚痴をこぼしていた。どうして、僕はモテないんだろう。僕はそれを聞くたびに何もできない自分を思い知った。女友達ひとりさえも紹介できない自分に不満を感じていた。確かに、僕はモテた。だが、僕の周りによって来る女の子は、僕目当てが多かった。僕のキザな会話や整った顔、スタイルにひかれてくるのだ。何度もそんな子たちに町田を紹介した。だが、ほとんどの人が町田を受け入れなかった。そんなことを知っていたのか、町田も、僕が紹介する女の子には見向きもしなかった。むしろ、町田は僕と町田が2人で会うときのクッション役にしていた。2人の会話が途切れそうになったときに、町田は必ずと言っていいほど、女の子に話題を振った。町田はそれはそれで十分に楽しんでいた。

恵理香を会わしたときも、ほとんど変わらなかった。僕との会話が途切れたときにのみ、町田は恵理香に話を振った。だが、いつもの僕とは違う。できる限り、町田との会話を途切れさせ、町田と恵理香とのパイプ役に徹した。そのかいもあって、トイレから帰ってきたときには、町田と恵理香は2人で話すようになっていた。別れ際にお互いの連絡先を聞きあうぐらいに仲良くなっていた。町田はとても別れにくそうにしていた。

町田自身、話が下手な方ではない。お坊ちゃん育ちとはいえ、いろいろな経験をしているために、いろいろな話ができる。ドイツの腸詰めにひっかかって気絶した泥棒の話やらカナダで曹洞宗の修行をしている日本人の話、猟銃の扱い方など、町田の話には珍しいものが多い。そんな何遍も聞いた町田の話を、いつからか恵理香から聞くようになっていた。恵理香の口から町田という単語が漏れるたびに、僕は微笑んでいた。どうしてもハマらなかったパスルのピースがハマったような気がしたからだ。

実際、肩の荷が下りたとは、こういうことをいうのかも知れない。

だが、恵理香から町田の話を聞いている自分の表情が強ばっていることにも気付いてはいた。肩の荷が下りたと思っている反面で、僕は恵理香から遠く離れてしまったことに痛みを感じていたのかも知れない。しかし表情が強ばる理由などない。そう、僕は思い直した。自分でその理由を探ることを止めたのだ。

web小説「KURO-N(クローン)」1


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