将来を考える小説「怖くて飛べない!」4

将来を考える小説「怖くて飛べない!」4

大学を卒業して、1年ぐらいはそんな3人の関係が続いた。町田は親のコネで住友銀行のエリート社員になった。大学を辞めた恵理香は働きながら看護学校に通い、大学病院の看護婦として働くようになった。僕の方は、天下屋の下っ端から盛り役になっていた。生まれついての色彩感覚、修行を通して学んだ素材に対する知識が認められたのだ。そして、いつの間にか、天下屋の御曹司である土方 歳とライバルと目されるほどになっていた。いずれは天下屋から暖簾分けしてもらえるかも知れない。僕の中には、そんな期待が芽生えていた。

しかし、私生活の方はまさに破壊的だった。特に、僕の女関係はこじれにこじれていた。金に余裕ができたことによって、酒に溺れ、女に溺れ始めたのだ。料理を研究することに疲れたせいもあったのだろう。もっとも、1番大きかったのは、何かにあせりとイラつきを感じ始めていたことだ。仕事はうまくいっているというのに、何かにあせっていた。その結果、仕事が手に着かなくなっていた。仕事が手に着かないから、仕事をしていても熱心になれない。つまらないのだ。勤務時間内は形上きちんと働いてはいたが、勤務時間外は料理の修業などそっちのけになっていた。あせりとイラつきを癒すために女遊びにかまけた。その結果、今まで付き合っていた女とも別れるようになり、いろいろな女と関係を持つようになった。だが、1度として、心が満たされることはなかった。どんな女と一緒にいても落ち着けなかったし、気を休めることができなかった。だから、余計に躍起になって新しい女を捜した。この女なら、僕を休ませてくれる。新しい女に会うたびにそう思った。だが、そんな期待はいつも崩された。それだから、余計にあせり、イラついた。真夜中を当てもなく彷徨うように再び期待通りの女を捜す。悪循環だった。荒れるためのループに陥ってしまっていたのだ。いつか頭の中をよぎった黒い何かがそんなループを作り出したのかも知れない。

るーぷにハマッテから僕は町田とも恵理香とも会わなくなった。2人に会うぐらいの時間があるなら、自分の心を癒してくれる女を捜していた。とっかえひっかえ、僕はお気に入りの洋服を探すように女を手探りで捜していた。酒を飲んではバカ騒ぎをして、女に自分の居場所を求めた。そうすることで、真面目に何かを考えることを止めようとしたのだ。少しでも自分に触れないようにしていた。素になれば、モヤついた何かが、僕の心を支配していることに気付いてしまう。それを少しでも回避したかった。

もっとも、僕だって、逃げ続けていたわけではない。1度だけ、僕はモヤついた心に向き合ったことがある。1日中、何もせずに、僕はモヤつく心の原因を考えてみた。だが、見当がつかなかった。目星のつかないことで、モヤついた心が僕にいっそうの焦りを与え、強く答えを出すことを迫ってきた。どんな答えを求めているのだ。僕は歯を食いしばって考えた。しかし、その瞬間から本能的な恐怖を覚えた。あの黒く素早い何かが僕の中でうなり声を上げたのだ。野獣のようなうなり声は、僕が今まで聞いた声の中で、もっとも暗くおぞましい声だった。黒い何かが僕に触れてはいけないと告げていた。自分の心に触れてはいけない。触れてはいけないのだ。それ以来、僕にとってモヤついた心はパンドラの箱になった。開けてはいけないパンドラの箱。開けた瞬間に悲しみや絶望が飛び出してくるというパンドラの箱になったのだ。

しかし、破壊の日々に終わりが来た。その日は酒をしたたかに飲み、六本木からバイクで女の所へ行こうとしていた。道があまりに混んでいたので、僕はいつも通らない裏道にバイクを走らせていた。酒に酔い、僕はあまりの気持ちの良さから80キロぐらいのスピードを出していた。そこへ携帯電話が鳴った。僕はレザーのジャンバーポケットから、慌てて携帯電話を取り出そうとした。だが、ポケットに携帯電話のストラップがひっかかり、なかなか取り出せない。シャクに障った僕は携帯電話を思いっきり引っ張った。その瞬間、僕はバランスを崩した。地面を擦る音が聞こえると同時に、携帯電話を離してしまった。僕はバイクから投げ出されていた。地面に落ちた体は割れるように痛かった。左腕は燃えるように熱く、痛みがのたうち回って声にならない。うなり声をあげるしかできない。しかし、噛み締めた歯の間から漏れる痛みがうなり声を変えた。ぞろぞろと人が集まってきたことは、すぐにわかった。だが、そこから先、どうなったのかはわからない。あまりの痛さから、僕は気絶してしまったようだ。

気づいたときには、僕は病院のベットの上だった。周りを見回して、自分が助かったことを知った。心から安心した。犬死にだけはしたくないと思っていたからだ。だが、左腕は万力に挟まれているように痛んでいる。頭にも包帯が巻かれていたし、足も天井から吊らされていた。けれど、僕は生きていた。その瞬間は、僕が自らの悪運の良さに感謝した瞬間だった。

「おお、だいじょうぶか」

ドアが開き、土方が入ってきた。そして、その後ろには町田がいた。町田と土方が一緒にいることに僕は驚いた。

「ああ。それよりも、2人ともどうしたの?」

「お店の方に連絡したら、この人がすぐに行くって言いだしたんだよ」

町田が説明をくわえた。

「バイク事故かあ。気をつけろよ。料理人にとって、腕は大切なんだぞ。特に左腕はなあ。左の小指は大丈夫なのか?」

土方は息せき切った様子だった。本当に僕のことを心配してくれているようだ。

「あんまり無理しない方がいいよ、安藤。小指を無理に動かそうとして、小指の筋をおかしくしちゃうかもしれないし。そうですよね、土方さん?」

「でも、試してみなくちゃ」

実体験-冬の中国・上海旅行記2