将来に悩む青春小説「怖くて飛べない!」5

2017年7月27日

将来に悩む青春小説「怖くて飛べない!」5

「おお、だいじょうぶか」

ドアが開き、土方が入ってきた。そして、その後ろには町田がいた。町田と土方が一緒にいることに僕は驚いた。

「ああ。それよりも、2人ともどうしたの?」

「お店の方に連絡したら、この人がすぐに行くって言いだしたんだよ」

町田が説明をくわえた。

「バイク事故かあ。気をつけろよ。料理人にとって、腕は大切なんだぞ。特に左腕はなあ。左の小指は大丈夫なのか?」

土方は息せき切った様子だった。本当に僕のことを心配してくれているようだ。

「あんまり無理しない方がいいよ、安藤。小指を無理に動かそうとして、小指の筋をおかしくしちゃうかもしれないし。そうですよね、土方さん?」

「でも、試してみなくちゃ」

僕はそう言うなり、おそるおそる小指に力を入れてみた。すると、小指に鋭い痛みが走った。僕は眉をひそめた。

「まだ無理しない方がいいな。ゆっくり休んでな。治ったら、また一緒に仕事しようせ」

土方は笑っていた。ライバルのいなくなった天下屋は俺のものだと言わんばかりだった。僕にはそれが悔しくてたまらない。だが、こんな体ではどうにもしようがない。今は体を治すべきだ。

土方は5分ぐらいで帰ると言いだして、薬臭の強い病室を出ていった。町田と2人になった。すると、奇妙なことに、町田と2人でいることに気まずさを感じた。以前は2人でいることが当たり前だったのに、なぜか、今は落ち着かなかった。久しぶりだったからだろうか。とにかくなんでもいいから話そう。僕はいたたまれない今を払拭したかった。

「ここは一体どこ?」

「ここは恵理香の勤めている病院だよ。いやさ、恵理香が教えてくれたんだんだよ。安藤が血まみれで入院してきたってね。今に恵理香も顔を出すだろうね」

恵理香の勤めている病院に入院してきたのか。偶然とはいえ出来過ぎている。だが、それ以上に、町田が恵理香という名を呼び捨てにしたことが気になった。僕自身、彼らと会っていなかったので、どういう仲になったのかはわからない。だが、喉に小骨が刺さったような感じだ。何となく落ち着かない。

それでも昔話を交えつつ、なんとか町田と雑談を続けた。そのうちにナース帽をかぶった恵理香が部屋に入ってきた。

「安藤、大丈夫? たく、飲酒運転で転んで、血まみれになっちゃって。ダメだよ、そんなことしてちゃあ」

恵理香はハキハキとしていた。以前の疲れた恵理香とは全くの別人だった。余りの変化に僕は戸惑いさえ感じていた。

「恵理香、安藤は着替えとか持ってないんだろ? 俺、ちょっと行って買ってくるよ」

そう言うなり、町田は部屋を出ようとした。だが、恵理香は夜が遅いので売店がやっているわけのないことを町田にきつく告げた。僕はその様子から2人の仲を察した。2人は付き合っているのだ。町田を尻に敷きつつも、恵理香は町田のありったけの愛の前に満足をしているのだろう。僕は形容しがたい淋しさを感じた。喜ばなければいけないのに、奈落の底に突き落とされた気がしたのだ。すると、頭の傷も体と同じように重く痛み出した。

眉をひそめている僕に恵理香が優しく問いかける。

「傷、痛む? 検査とかは明日なんだけど、鎮痛剤でも打とうか?」

恵理香の声がやんわり僕の耳に響いた。奈落の底に光が射してきたようだ。恵理香の言うままに鎮痛剤を打ってもらい、僕はとにかく眠ることにした。頭も痛いし、なんだかため息も異様にたくさん出る。気分も良くない。町田に眠りたいことを告げ、僕は目をつぶった。本能的に町田と恵理香が親しげに話している様子を見たくなかったのかも知れない。目を閉じて、眠ることに勤めた。

翌日行った検査の結果、僕の左腕は圧迫骨折していたことがわかった。左手の小指は全治不能。完全に曲がってしまっていた。その事実を伝えてくれたのは、恵理香だった。

「ねえ、ちょっと聞いたんだけど、板前さんにとって左手の小指って大事なんでしょう?」

「うん。右利きの人にとっては、左手の小指が体の中心に来るからね。これがおかしいとなると、体のバランスがとれない。それに板前にとっては、材料を扱うのが右手だけじゃあ不可能に近い。だから、板前にとって、生命線と言っても間違いじゃないね。その上、右手もこんな状態だろ?」

僕はギブスで固められた右手を挙げて見せた。不幸中の幸いか、右手は単純骨折で済んでいた。

「まあ、こんな事になったのは全部僕のせいだ。誰も攻められないよな? ははは」

僕の笑いは悲しい。自嘲なのだから。リハビリを通しても左手の復活は難しいとも言われていたので、このまま天下屋で働くことは無理だろう。自慢の顔にも傷が付いてしまい、おそらく女たちも夢から覚めたように僕から離れていくに違いない。僕には何も残っていなかった。仕事も、女も失った。長い修行の日々で培った技術も、天性のルックスも無くしてしまった。今の僕には、何一つ残っていない。

「そうね」

恵理香は呆れたのか、それとも慰めようがないと諦めたのか。そうねという一言だけだった。僕の怪我の状態を説明した時のまま、表情を少しも変えていなかった。


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