片思い小説「遠い昔の甘さ」END

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片思い恋愛小説「遠い昔の甘さ」END

 僕は恋に破れた。そして、僕は自分にも負けたのだ。それは火を見るより明らかだった。1時間前には存在した僕の恋が、シュレッダーにかけられたようにバラバラにされていた。両手を広げてかき集めて、もとのカタチにしようと思っても、おそらくは元に戻らないだろう。そう、僕の恋は。由美との甘い感傷は。

 しかし、そういつまでも落ち込んでいても仕方がない。悲しい余韻にずっとしがみついていられるほど、僕は強くもないし、センチメンタルでもない。切り替えが必要だ。そう思って、僕はこたつから重たい顎をあげた。CDプレイヤーのリモコンを探すために、虚ろな目をうろつかせる。右前方のリモコンは、SONYの文字をさらしながら置かれていた。こたつからススッと音もなく手を出して、リモコンを取ると、右手一つでCDプレイヤーのスイッチを入れた。入れっぱなしのCDから、ジョン・レノンの「STARTING・OVER」が流れ始めた。ボリュームを目一杯に上げて、僕は青春の退廃さをイメージさせる曲に没頭しようとした。だらけた感じで、今の心境にぴったりだった。耳をすまし、僕は耳の奧へ奧へとたくさんの音符を流し込んだ。しかし僕がモヤついた胸を癒すことに執着しているわりには、一向に心が晴れない。夢中になって聞いていても、歌詞がしみいるように僕の胸を刺し続けて、とても昼間の僕には帰れない。そう思うと、もう二度と和やかな顔では、由美に会うことができない気がしてきた。自分で決めた道とはいえ、残酷な結果だった。自然とため息がでてくる。

 ジョン・レノンの演奏を邪魔するように、地面から携帯が鳴りだした。僕は電話にでるかでないか迷ったが、あまりにも着信音がうるさいので、さすがに電話にでることにした。携帯はいつもよりもずっしりと重い。

「もしもし」

「おお、木田か。安藤だ。今日、スゲーかわいい子連れていたなあ。あの子、彼女?」

「ちげーよ」

むくれた感じで言う。僕はむくれた声で言うつもりはなかったのだが、声が自然とそうなってしまったのだ。少々、自己嫌悪。

「そうなのか? あの子、絶対お前に気があると思うけどなあ?」

「ないの。男と見られないんだって。俺は」

「ははは。そうか。お前には不釣り合いだもんな」

ケタケタと笑う安藤が憎らしくなってきた。適当にあしらって電話を切ろう。

「しかし、男と見られないって言われたところをみると、お前さん、コクったんだね」

「ああ」

悪いかと言いたいのを必死にこらえる。

「ふふ。でも、頑張ったなあ。俺はお前のそういうがんばれるところが好きだよ。頑張って、一歩一歩進んでいくところ。何か親しみ感じるね」

「お前にそんなこと言われてもな」

「そりゃあ、そうだ。あの子に言われないとな。でもまあ。好きだから言えたんだ。それはそれですごいことだぜ。それにな、お前は告白したんだ。だから、これからは向こうも、少しはお前を男と見るようになる。そう、お前の恋はこれからなんだぜ」

僕は少し考えた。安藤の言葉が本当かどうかを。

「お前、あの子のこと好きなんだろ? ずっと好きでいるつもりなんだろ? きっと大丈夫。お前が本当に好きでい続ければ、絶対に向こうは振り返る。絶対に奇跡は起こるンよ。わかるか、これが奥義だよ。生きるための奥義。ン、まあー、今日はこの辺で講義を終わりにしますわ。がんばれよ。じゃあな」

何が奥義だ。何が講義だ。僕は一方的に電話を切った安藤の言葉をなじるだけなじる。けれど、安藤の言った言葉が頭の中を何度もこだまする。本当なのだろうか? 由美のことを好きでい続ければ、必ず起こるという奇跡は。

 何度も、何度も。舌の中であめ玉を転がすように、僕は奇跡について考えた。そのうち、奇跡の中でふと感じるものを見た。僕の頭の中で、何かがはじけた気がした。そう。僕の恋は。安藤が言うとおりに、これから始まるのだ。すべてはこれからなのだ。やっと僕は、人への愛をカタチにし始めたのだから。由美への気持ちを石膏の言葉で固めて、声に出して、一つのカタチとして表したのだ。人を好きになることは難しい。好きだということを受け入れるのも難しい。難しいことばかりの中で、僕は僕のカタチを見つけたのだ。自分を裏切らないという愛のカタチを。

 そして、さらに愛の奇跡なる言葉を考えついた。愛し愛し通せば、必ず起きるという奇跡。僕は信じるものを見つけたのだ。

 そう考えると、なんだか僕の心に小さな翼が生えたような気がする。鮮やかなカタチではなかったが、僕は恋をカタチ取ったことによって、自分の可能性を見いだしたのだ。信じるものができたのだ。

 その時、背中をすきま風が横切った。ブルルと僕は一震えした。おかげで、猫のように曲がっていた背筋もスクッと伸びた。強く固い背骨を、僕は垂直に伸ばしたのだ。その時、再び携帯が鳴り出した。すいっと携帯をつかむと、携帯から音が消えた。メールの着信だったからだ。メールを開くと、僕の目に黄色い文字が飛び込んできた。

「今日は嬉しかった アリガトウ YUMI」

 

 我が家のドアの前で誰かが歩みを止めた。ビニール袋を提げているらしく、ガサゴソとビニールがこすり合う音が聞こえる。

「ただいま、パパ」

真奈美だった。真奈美は白いビニール袋をぶらつかせながら、僕の横にちょこんと座った。そして、寒さで赤くした顔で僕に笑いかけてきた。

「ねえ、今日もいつものおでん? ハンペンいっぱいだよね、今日も」

「ああ、そうだな。お前はどこ行ってきたんだ? 今日は。高校はもう休みに入ったろ?」

「また、人の話を聞いてない。ダメだよ、パパ。高校生になっても話しかけてくれる娘は私ぐらいなものよ。大切にしなくちゃ」

「わかった、わかった。で、どこに行ったんだ?」

僕は心配で仕方ないのだ。真奈美が帰ってこないのではないかと思って。弟のように、急に顔を見せてくれなくなるんじゃないかと思って。

「今日は年末の買い物に行って来るって言ったでしょ? お餅とかさあ、黒豆とか。新年を迎えるのにどうするのよ、何もなしで。ママも怒るよ、そんなにいい加減だと」

真奈美は赤い顔をふくれっ面にしている。感情の変化が激しいののは、母親譲りなのかもしれない。

「ねえ、ママ。パパは今日もおでんなんですよ。ちゃんとしたものを食べるように言ってよ。ねえ。体に悪いよね」

そう言いながら、真奈美は洋服ダンスの隣にある仏壇に手を合わせた。

「パパはね、ママのこと忘れられないんだって! たく、こんなお荷物なパパを置いていっちゃって。大変なんだからね」

減らず口をたたく後ろ姿は昔の由美そっくりだった。

 そんな真奈美を見ながら、僕は長いため息をつく。

 明日からはおでんを止めよう。お前がいないとうまくないよ。なあ、由美。あの時のやさしく甘い香りのおでんはいつまた作ってくれるんだ? なあ、由美。真奈美も同じものを作れるようになるのか? もし、そうなら、あの香は遠い昔の甘さじゃなくなるんだよなあ。遠い青春の甘さじゃなくなるんだよなあ。なあ、由美、答えてくれよ。教えてくれよ、あの時の弾んだ声でさあ。頼むから。