片思い小説「遠い昔の甘さ」2

片思い恋愛小説「遠い昔の甘さ」2

足を踏んだことなど、すっかり忘れてしまっているような顔で、由美はシャアシャアとしゃべりだした。アッケラカンとしていて、大げさに謝ることなどなかったと言わんばかりの表情だった。

「どうしたのって、ほら、俺、家を出ただろ? だからさあ、自分で料理をしなくちゃならないの。それでな、おでんでも作ろうかなって思ってな」

僕は踏まれた足を気にしながら答えた。

「ああ、あのわけのわからない引っ越しね。家出るんだったら、どっか違う街にでも行けばいいのに、何でわざわざ実家の近くにマンションを借りるわけ。大学の近くの方が、通学に楽でしょ」

「あんなあ、うちにはうちの理由があるのー。それより、お前こそ、ここで何してるの?料理とか作るタマやないやろ?」

本心から僕はそう思っていた。

 もちろん、由美が料理を好んで作る方ではないと思うのには、それなりの理由がある。由美は料理を作るのが得意ではないのだ。おおざっぱな性格が災いして、料理にはむかないのだ。むかない証拠に、由美が中学時代に作ったケーキはおそろしくまずかった。中学の調理実習のときに作ったクリームの所々禿げたショートケーキ。思い出すだけでも、甘ったるい味が喉を通る。由美は偉大な発明を遂げた後の科学者のような顔で僕にそれを差し出した。そして、ちょっとカタチは恐いけど・・・と言いながら、僕に食べることを強要した。あの味は今でも忘れられない。甘くて、甘くて食べられたものじゃなかった。あんなにも甘いケーキがこの世にあってよいのだろうか。舌が甘さを感じた瞬間に拒否反応を示し、僕はむせてしまった。そして、むせた僕を見ながら、由美はつぶやいた。

「うーん、やっぱり失敗か。また持ってくるから、食べてね」

「おい、なんで、俺に持って来るんだよ」

「あら、私のケーキ食べられて幸せじゃない? 試作品だから、一番最初に食べる人なのよ、この世で」

いや、そういうことじゃなくて。僕はそう言い返そうとしたが、言い返すこと自体が無駄だと思った。人の言うことを聞くような由美じゃないと思ったからだ。それに、当時の僕は由美のことが好きだった。今もそうだが、由美のことを好きだった僕は、この世で一番最初に由美のケーキを食べる人という役を演じるのも悪くないと思ったのだ。もっとも、イヤだと言い返さなかったおかげで、半年もの間、僕は不可思議なカタチと甘さ120パーセントのケーキを食べ続けることになった。

 由美はシュンとした顔をした。今にも雨が降り出しそうな空のような顔をした。だが、この顔は次の反撃のためのカモフラージュだ。言ってみれば、大雨の谷間の晴れ間といったところか。

「料理好きだよ、私。だって、みんなおいしいって言ってくれるもん。食べたこともないくせに。知ったかぶりするなよ」

キャンキャン吼えて、つきまとってくる子犬。ふくれっ面で言い返してくる由美を動物に例えると、そんな感じだ。

「んじゃあ、今度、とびきりおいしい奴をごちそうして下さいな」

由美の怒っている目がらんらんと輝いている。僕は由美のこんな目も好きだ。

「それだったら、今日の夜、作ってあげるよ」

「え、今日?」

思わず、僕は目を丸くして聞き返してしまう。僕は自分の部屋の雑然としている様子を浮かべる。紙ゴミがそこら中に散らばった絨毯、KENTの吸い殻が山のように積もっている灰皿が三つ、脱ぎっぱなしの服。とても、由美を入れられる状態じゃない。

「いやな、今日は部屋が汚くってな」

「いいよ、別に。それよりも、私の腕を信じてくれないことの方がいやだもん」

いやだもんじゃなくって。僕は結構こういうことを気にしてしまう性格なのだ。子供の頃から知っている由美だとはいえ、現在、ゴミが支配する部屋を見られるのは恥ずかしい。