片思い小説「遠い昔の甘さ」3

片思い恋愛小説「遠い昔の甘さ」3

思わず、僕は目を丸くして聞き返してしまう。僕は自分の部屋の雑然としている様子を浮かべる。紙ゴミがそこら中に散らばった絨毯、KENTの吸い殻が山のように積もっている灰皿が三つ、脱ぎっぱなしの服。とても、由美を入れられる状態じゃない。

「いやな、今日は部屋が汚くってな」

「いいよ、別に。それよりも、私の腕を信じてくれないことの方がいやだもん」

いやだもんじゃなくって。僕は結構こういうことを気にしてしまう性格なのだ。子供の頃から知っている由美だとはいえ、現在、ゴミが支配する部屋を見られるのは恥ずかしい。

「そんなに汚いなら、片づけなさいよ。これから、大掃除。そうすれば、来年をきれいに迎えることができるでしょ。ちょうどいいじゃん」

大掃除か。僕は渋い顔をせざるを得ない。掃除は苦手なのだ。いや、苦手というよりも好きではないのだ。やると決めてやるときはよいのだが、気分がのらないと一向に進まない。それどころか、途中で掃除を投げ出してしまい、結果的に掃除を始めない方が片づいていた状態になる。

「たく、煮え切らない男ねー。それじゃあねえ、掃除も手伝ってあげる。その代わり、何かおごって。そう、赤坂で何かおごってね!」

「いやな、そういうことでもなく」

「カッコつけすぎるなよ、じゃあ、とにかく、私は私の買い物しちゃうから」

そう言うなり、由美はウィンドウの中の木綿豆腐と漬け物を店のおじさんに頼んだ。一方で、僕は自分が何を買いに来たのかを忘れてしまっていたことに気づいた。とりあえず、ウィンドウをみて見る。だが、色とりどりに並ぶ総菜をいくら見ても、自分が何を買いに来たのかを思い出すことができない。少々イライラする。

「さ、お待ちどうさま。ところで、あんた、何を買いに来たの?」

「いや、それがな、忘れちゃったんよ。お前、知っている・・・わけないよな」

 しかし、妙なことになった。一人でゆっくりとテレビを見ながらすごそうと思っていたのに、どこのコマからこうなったのか知らないが、由美は家の掃除を手伝ってくれて、さらに料理を作ってくれることになった。まったく、先のことはわからない。

 そんなことを思いながら、僕は由美の荷物を持たされていた。由美に言わせると、それくらいをするのが当たり前だそうだ。両手にビニール袋を下げて、女の後ろをついてまわるのは少々恥ずかしい。けれども、女に荷物を持たせて歩かせるよりかは、僕の気持ちはいい。

「ねえ、次は何を買うの、由美お嬢様?」

「とりあえず、薬屋さんでおしまい」

「何買うの?」

「掃除するんでしょ? あんたの部屋臭そうだから、マスクと消臭スプレー。それにゴキブリホイホイ。絶対、ゴキブリホイホイとか置いてないでしょ」

そんなことはどうでもいいような気がした。由美にとっては大切なことかもしれないが、僕にとっては全部二の次の問題だ。だが、反論するのも疲れていた僕は、何も言わずに由美の背中を追い続けた。

 薬屋にありがちな黄色いテントを張った店の前に、由美は歩みを止めた。

「ちょっとここで待っていて」

はいはい。地面に荷物を置き、僕は店の横の郵便ポストにもたれかかった。ズボンのポケットから、KENTを出して、ゆっくりと火をつけた。その時に僕は気づいた。結婚の幸福感とは、こういう瞬間なのかもしれない。大好きな人と買い物に行き、大好きな人が買い物をしている間、自分はその人のことを考えながら待ち続ける。退屈だったり、待つことが嫌になったりすることもあるだろうが、そんなときでも忠犬のように大好きな人を待つ。そうなんだ、これは幸せなことなのだ。

 自分事でもない妻の買い物につき合わされて、その間に街の一角で一服。客観的に僕と由美を見れば、ゆったりした平凡な夫婦だ。静かな二人の午後だ。思わず、僕の頭の中で幸せかな? という疑問が幾度となくわき上がった。それはだれた感傷に似ていたが、僕が浸かるのには十分すぎるほどのぬるま湯だった。

「お待たせ。ねえ、あの店の人、あなたの知り合いなの?」

誰だろう? 僕は首を伸ばして、カウンターの店員を見た。こちらを見て、何やらニヤニヤと笑っている。それは安藤だった。

「ああ、安藤っていう大学の友達。あいつ、この辺でバイトしてるんだな」

「そんな呑気なこと言ってないでよ。知り合いがいるんだったら、知り合いがいるっていいなさいよ。あの人、私のこと見て、最初に『奥さん! 何かお探しですか?』って言ったのよ。こっちは向こうがあんたの友達だって知らないもんだから、適当に『ええ』とか言っちゃったじゃない。変な目で見られたら、どうしよう」