青春小説「運命とは気まぐれなモノだよ!」2

青春小説「運命とは気まぐれなモノだよ!」2

この時初めて、謝るときに、つい、電話越しで相手に見えもしないのに頭を下げてしまう人の気持ちがはっきりとわかった。
「これから、こちらには来られないんですよね?」
「ええ、予定がありますから。でも、どうも本当にすいません。ご迷惑かけます」
「これからもこういうことがあると困りますよ。気をつけて下さい」
事務的な返答にややムッとはしたが、ひたすら謝るしかない。私はただ、ただ、謝り、自分のミスであることを強調した。強調しすぎて、しすぎることはない。こういうときにこそ、謝るのだ。
「じゃあ、次回は忘れないように」
「はい、どうも、すいませんでした。どうも、ごめんなさい」
私は実に嫌な気がした。予定を忘れるなんて。冷静沈着かつ、大胆不敵、完全無欠、冷酷無比、自画自賛である私がこんな凡ミスをするとは。しかし、次の瞬間からは、その嫌な気分をコロッと忘れさせていた。忘れさせなければならない。なぜなら、これから琴ちゃんという女性と会う約束をしていたからだ。私は自分が不快な顔で人に会うことは、相手に対して失礼と考えている。だから、気持ちを切り替える必要性があったのだ。360度、いや、180度、ブルーとオレンジの情を逆転させた。公私混同せず生活する、武士道とはここにありき。そういう意気込み、感覚、考え方、というより、育ちであろうか。バイト先の方から言わせてもらえれば、たまったものじゃないだろうが。
時は経ち、まだ掃除の済んでいない部屋から旅立つ時間となった。コーヒーカップに残っていた、まずくて飲み残していた青汁を口にがばっと入れる。苦い、と思いながらも、口を手で押さえ、くくっと喉に通した。うー、まずい、もう一杯、などと、テレビの宣伝のまねをして、自分をごまかす。
さあて、行かれますか。私は自分に声をかけた。鞄を左肩にかけて、私は部屋の中を総点検した。電気は消したか、テレビは消えているか、鍵は閉めたか。よし、行こう。私は外と大して変わらない暑さの部屋を出た。廊下をゆっくり歩く。なんだか忘れ物があるような気がして、たまらなかったからだ。
しかし、そんなことをしているうちに、トイレに行きたくなった。洗面所を駆け抜け、トイレに行く。その時、とんでもないことに気づいた。用を済ませようと、ズボンを見たときに気づいた。なんと、ズボンが普段着のままなのだ。びっくりして、腰を抜かしてしまった。そう、着替えることをすっかり忘れていたのだ。ばかばかしいにも程がある。私は普段着をかなぐり捨てた。
とにもかくにも、やっとの事で、ふたたび、出かけることのできる。しかし、すでに出かけていなければならない時間だった。茶色のウォーキングシューズを履きながらも、もう、他に忘れ物がないだろうか、と考え続けた。でも、もう時間がない。忘れ物になど気を使っていないで、”汽笛を鳴らせ”といわんばかりに、私という筏型豪華客船は出発した。投げられる紙テープはまったくない。
外に出てみると、そこには小気味良いほど強い風が横に吹いていた。前のセブンイレブンの幟が風で鳥が羽ばたくように揺れていた。これはたまらないなあ、と思いながらも、私は一人微笑んだ。そして、急ぎ足で進み始めた。追い風の強い日はやっぱり、歩くスピードが違う。速くていい。ものの10分ぐらいで、大井町の駅まで簡単に出て来ることができた。その快適なスピードに自己満足しながら、私は渋谷までの切符を買い求めた。渋谷まで180円と、上の掲示されているマップから認識した。財布を鞄から出しながら、何気なく、受話器の付いている切符の自販機の前に立った。
すると、急に、自販機がしゃべり始めたのである。
「いらっしゃいませ。・・・・・・・・・・・・・・・・・さい」
私は、自販機がしゃべったことにたいする驚きと、混迷の中で、自販機の告げた言葉をほとんど聞き取ることができなかった。しかし、そこは天下の文明人である私だ。機械にはめっぽう強い。冷静さを取り戻すと、自販機の前面をくまなく何か書いていないか調べた。しかし、何か、それらしいものは何も書いていない。どうしよう、これ。どうにも、ならへんやんか。一度戻ったはずの冷静さはどうやら偽物であったようだ。私は、ますます激しくなる混乱と動揺の中、なんとなく後ろを振り返った。しかし、これは失敗だった。後ろには、いかにもサラリーマンという格好をした青年と、ヤンキーの兄さんがいらいらしながら待っていた。その様子を見た私は余計にあせってしまった。あせっても、どうしようもないのだが、あせりにあせった。こんなにも、私があせったことは今世紀中にあっただろうか。いや・・・。
こんな自問自答を心の奥底でやっていると、後ろからサラリーマン風の青年が声をかけてきた、不機嫌そうな、そして、いささか馬鹿にしたような声で。
「受話器を取って、行き先を言えばいいんですよ」
「・・・・そうなんですか、どうも」
小さくなった私が、小さな声で感謝の辞を述べ、受話器に手をかけた。そして、より小さな声で、一言、ぼそりとつぶやいた。
「渋谷まで」
自己嫌悪の血液が、体中にまわり、体を熱くした。この自己嫌悪の血液こそが、恥という人間の触れてはいけない毒を体中にまわすのだろう。いよいよもって、さっきの態度は恥ずかしかった。暑さでか、それとも、毒が体中にいきとどいたせいだろうか。顔は汗だらけ。そのうえ、顔は真っ赤になってしまっていた。これじゃ、タコと同じだな、と一人電車を待ちながら苦笑した。もちろん、手には、ぎゅっと握りしめたことによってできた、皺だらけの切符が一枚。


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