青春小説「運命とは気まぐれなモノだよ!」5

青春小説「運命とは気まぐれなモノだよ!」5

 渋谷での待ち合わせ場所はいつもモヤイという名の石像と決めている。特に理由はない。ただ、なんとなく、あの像が好きなだけである。それゆえ、待ち合わせ場所のモヤイ像へ私は走っていた。サイレンを鳴らしながら行けば、車も避けてくれるのだが、パトカーでない私にはサイレンを鳴らすことは不可能。だが、急いだおかげで、無事、時間に間にあった。ヤー、助かった。もう琴ちゃんは来ているだろうと思い、そこらを探してみた。
まだ来てないようだった。来てないとなると、それはまた、しめたものである。こちらは琴ちゃんが来るまでに、落ち着きを取り戻すことができる。
また、待つこと自体は嫌なことではない。むしろ、楽しい。なぜ、来てないのが楽しいのか。それは簡単なことである。希望というものがふりかかってこそ、すべての存在するものは楽しく、また、美しく見えるからだ。たとえば、小さい頃、駄菓子屋へ行き、どのお菓子を買おうか選ぶとき、ものすごく楽しかっただろう。イカの薫製にするか、泡玉にするか、チョコのついたミニドーナッツにするか。あれこれ、味を想像しながら、選んだことだろう。その想像の時間に、人は実際の駄菓子の味に、希望というふりかけをかけている。そして、その想像した味は、いつも現実の味よりも万倍もうまい。あれと同じだ。希望が、現実の姿よりも、より楽しくさせるのだ、おいしくさせるのだ。だから、待つのは待つので、それも楽しいものなのだ。
しかし、待てど、暮らせど、琴ちゃんは来ない。どうしたのだろうか。私は琴ちゃんに何かあったのではないかと思った。そう思うと、余計にいてもたってもいられない。心配になり、私は日頃、料金がかかるので、滅多に使わないビジネス用の携帯から電話をかけた。
電話は留守番電話だった。もう、家を出たのか、大遅刻のだけか。少しホッとした。そこで、琴ちゃんが家に帰ったとき、連絡を入れるようにというメッセージで、私がどれだけ待ったかを確認させるためにメッセージを入れておいた。そして、私はゆっくり、長期戦で待つことを覚悟した。
覚悟した。そうはいっても、琴ちゃんが来ない時間が過ぎていくうちに、また、心配の度合いは高まった。出がけで、事故に遭ったのではないだろうか。私の頭の中では、血だらけの琴ちゃんの顔が、ぐるり、ぐるりとループし始めた。まるで、ドラマの回想シーンのようだ。そして、そのループの速さはレコードの回転板さながらだった。そのレコードを止めるために、私はもう一度、電話をかけた。留守番電話のままだ。そこで、もう一度、メッセージを入れた。そして、もう少しだけ待つことにした。ゆっくりと、心を落ちつけて。
30分。こんなにも短い時間が異様なほど長く思われたことはない。いろんなことが頭をめぐっていたからだ。もし、事故でけがしてたら。誘拐にあっていたら。今よく出没する通り魔に襲われていたら。でも、この私を一番悩ませた心配はこれらのことではなかった。彼女が日にちを間違えて出かけてしまったのではないか、という想像だった。もし、彼女が家にいるなら、いけない理由を電話で私に伝えるだろう。それなのに、電話はかかってこない。そうなると、家には彼女はいないのだという想像が容易につく。もし、日にちを間違えていて、ちがう用で、外に出ているのなら、私にはつかまえようがない。その時はどうするか。40分待った時点で私は冷静に時間の使い方を考え始めた。
ただ、冷静にというよりは冷酷に、という感じだ。誰か他の人間を呼ぶという思案が浮上し始めていたのだ。なぜ、それが冷酷なことなのか。これがいわゆる、<人が人を切り捨てる>ということにつながるような気がしたからだ。琴ちゃんという人間に対する希望というものを捨て、新たな誰かに琴ちゃんとの時間をかけてしまうことが、私にとっては、たまらなく嫌だったのだ。時間に遅れている者、来ない者を皆捨てる。そんな人間ではいたくない。そんな青い思いが、私に次の誰かを呼ぶという行動をためらわしていた。
50分。もう、琴ちゃんは来ない。電撃的に直感した。というよりも、待つことに疲れたのだ。あまりにも時間が経ちすぎた。琴ちゃんに何かあったのだろうか、という心配を私は強引に引っ込めた。少し顔を引き締め、近くの公衆電話を探した。そして誰かを呼ぶため、電話ボックスに向けて、ふるえる指先を動かした。

アイスコーヒーの氷が溶け、ころんという音がした。